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学問のすすめ 初編 段落四 その二 愚民の上に苛き政府あり

学問のすすめの翻訳、初編 段落四 その二でござる。

現代語訳

こうした愚かな民衆を支配するには、道理をもって教え諭すことはとても無理なので、威圧して脅して支配するしかない。西洋のことわざで言う「愚かな民の上には厳しい政府がある」とはこの事である。これは政府が厳しいのではなく、愚かな民衆が自ら招いた災いなのだ。そして愚かな民の上に厳しい政府があるならば、良い民の上には良い政府がある、という理屈となる。今この日本においても、この水準の国民があるから、この水準の政府があるのだ。

もし仮に国民の道徳の水準が下がって、より無学になる事があったら、政府の法律もより厳しいものとなるだろう。もし反対に国民全てが学問を志して、物事の道理を知って文明を身につけるようになれば、政府の法律もより寛大なものとなるだろう。法律が厳しかったり寛大であったりするのは、ただ国民に人徳があるか否かによって変化するものなのである。厳しい政治を好んで良い政治を憎む者など誰も居ない。自分の国が豊かになり強くなる事を望まない者など居ない。外国から侮りを受ける事をよしとする者もいない。これらは人として当然の感情である。

今の世の中に生まれて国家に報いようとする者は、何も思い悩んで苦悩する必要などない。大切な事は、人としての感情に基づいてまず自分の行動を正しくし、熱心に学び、広く知識を得て、それぞれの社会的役割に応じて知識や人徳を身につける事だ。そうすれば政府は政治をしやすくなり、国民はその支配で苦しむ事もなくなり、お互いに責任を果たして、一緒になって国家の平和を守っていく事ができる。今私が勧めている学問というのも、ひたすらこの事を目的としているのである。

英訳文

To rule the ignorant people, you cannot lead them by reason, you have to threaten them by force. The Western proverb says, “There is a severe government over ignorant people.” This is not because the government is severe, but because those ignorant people cause the disaster. If there is a severe government over ignorant people, there is a good government over good people. In Japan now, there is this government because there are these people.

If the people’s morals degenerated and they became more ignorant, the government would be more severe. On the contrary, if the people learned eagerly and they knew the reasons of things and got sophisticated, the government would be more tolerant. Whether laws are severe or tolerant, depends on whether the people have morals or not. There are no people who like severe laws and dislike good government. There are no people who don’t hope that their country become rich and strong. There are no people who willingly accept an insult from foreign countries. These are natural feelings for people.

If you aspire to serve the country now, you don’t have to be anguished or worried. The important things are, to behave righteously with humanity, to learn eagerly, to have broad knowledge and to acquire wisdom and virtue according to each position. If so, the government would govern the country easily, the people would live peacefully, and they would fulfill their obligations to each other and keep the national peace together. This is the ultimate purpose of learning, that I am encouraging now.

Translated by へいはちろう

「愚民の上に苛き政府あり」「我日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり」

なんともはや、耳が痛いと言おうか、良薬口に苦しとでも言おうか、実に容赦のないお言葉でござるな。ただし、こんなブログを運営している拙者自身はといえば、現代日本人の教養や徳性、あるいはその政治が諸外国や過去の日本と比べて劣るものだと思った事はないでござる。まあ確かに最近は少々元気がなかったり、逆に過去と比べて人々に知恵がつき過ぎたために素直さを失っていたりする部分もあるかも知れないでござるが、物事の一面だけをとらえて全体をはかる事こそ早計というものでござろう。

かつて中世の時代には、宗教が終末論や末法思想によって人々の心を支配して政治をコントロールしていたものでござるが、我々はよくよくこの事を肝に銘じておく必要があるのではないでござろうか。悪を憎んで社会が良くなる事を望むのはごく自然な感情でござるが、それを他人に利用されないようにしたいものでござるな。

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学問のすすめ 初編 段落四 その一 身に才徳を備んとするには物事の理を知らざるべからず

学問のすすめの翻訳、初編 段落四 その一でござる。

現代語訳

 既に述べた通り、一人の個人も一つの国家も、天の道理によって何者にも束縛されず自由なものであるから、もし国家の自由を妨げようとする者があれば世界中の国々を敵に回しても恐れる必要はないし、個人の自由を妨げようとする者があれば政府の役人に対しても遠慮する必要はない。まして現在では士農工商の四つの身分が平等という基本ができたのだから、安心してただ天の道理に従って思う存分行動すると良い。しかしながら、人間である以上それぞれに社会的役割というものがあるから、その役割に見合った能力と人徳を身につけなければならない。能力と人徳を身につけるには物事の道理を知らなければならず、物事の道理を知るには学問をしなければならない。だから現在学問が緊急に必要とされているのである。

近頃の様子を見ると、農工商の三つの身分は以前に比べて百倍も地位が上がり、士族と肩を並べるほどの勢いがある。これら三つの身分であっても能力と人徳に優れていれば、政府に採用される道も開けている。だからその社会的役割をよく考え、自らの責任の重さを自覚して、卑劣な事はしないようにしなければならない。

およそこの世の中で学の無い民衆ほど哀れで憎むべきものはない。知恵の無いのが極まると恥を知らなくなり、自らの無知によって貧乏になる。そして飢えと寒さに苦しむようになると、自ら反省をせずにいたずらに金持ちを恨んだり、ひどい者になると集団で暴動を起こしたり略奪に走ったりする。これは恥知らずな行為であり、法を恐れぬ行為である。世の中の法律を頼りにその身の安全を保って生活を営んでいながら、頼る時だけはありがたがって、自分の欲望のためには平気でその法を破るとは、矛盾していないだろうか。

また家柄の良い家に生まれてそれなりの財産を持ってる者も、貯蓄をする事だけ知っていながら自分の子や孫を教育することを知らないでいる。教育を受けなかった子供達が愚か者に育ったとしても不思議な事ではない。そして遊びほうけてやりたい放題するようになり、代々受け継いできた財産を失ってしまう者も少なくない。

英訳文

As I said before, a man and a nation are free. If there are countries that violate national independence, you don’t have to be afraid of even all countries around the world. If someone violates your freedom, you don’t have to be afraid of even governmental officers. Four categories of the people are equal now, so you don’t have to be worried and you can do as you wish, as long as you follow Heaven’s reason. But everyone has their position and must have proper ability and virtue for each position. If you want to improve your ability and virtue, you have to know the reasons of things. If you want to know the reasons of things, you have to learn. This is the reason that learning is urgently required now.

Recently, positions of the people of three categories, farmers, artisans and tradesmen, have been raised hundred times, and some of them rival warrior class now. If you have enough ability and virtue, you can become a governmental officer. So you have to consider the position, know your responsibilities and must not perform evil deeds.

Ignorant people are the most pitiful and nuisance in the world. They have no shame because they have no wisdom. They become poor by their ignorance. When they suffer extreme poverty, they blame the rich instead of themselves. Some of them riot and plunder in a group. This is a shameless act against law. Although they live peacefully under the protection of the law, when it becomes inconvenient, they violate the law for self-interest. This is inconsistent, isn’t it?

Even rich people from a good family only know saving money and don’t know educating their children. There is no wonder those uneducated children become foolish. In due course, a lot of them indulge in dissipation and become bankrupt.

Translated by へいはちろう

江戸時代おける日本の教育水準は意外と高く、特に識字率において欧米と比べても劣るどころか世界一のレベルであったという事を知っている御仁も多いでござろう。事実として江戸時代に生まれた娯楽や文化が現在でも通用するように、決して当時の日本人の文化水準が低かったわけではないでござる。

しかし福沢諭吉が問題にしているのは自由独立の精神文化や自然科学の分野でござるな。自伝の中で「門閥制度は親の敵」と言い、子供の頃には好奇心から神社の御神体にいたずらをした事もあるような人物でござるから、権威に対して盲目的に服従する民衆はすべて愚か者に見えたのでござろう。ただこれは厳しいようでありながら在野の啓蒙家ならではの視点で、これがもし為政者の立場だったならば民衆は愚かな方が統治がしやすいと言う考えに傾いていたかも知れないでござるな。

学問のすすめの初編が発行された1872年から現在までおよそ150年が経過しているわけでござるが、自然科学の分野においては日本も世界一流の国家になったと言っても過言ではないでござろう。しかし哲学などの人文科学、政治経済学などの社会科学の分野では果たしてどうでござろうか。古い書物を翻訳している拙者が言うのもおかしな話でござるが、日本人はこれらの分野においては少々保守的に過ぎる傾向があるのやも知れないでござるな。

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学問のすすめ 初編 段落三 その二 人の貴きにあらず、国法の貴きなり

学問のすすめの翻訳、初編 段落三 その二でござる。

現代語訳

王政復古、明治維新より以降、日本の政治は大いに様変わりし、外交では国際法に基づいて外国と交わり、内政では人民に自由独立の方針を示して、すでに平民にまで苗字を与えて馬に乗る事を許可した事は、我が国が始まって以来の素晴らしい事であり、士農工商の四つの身分が同等のものとなる基礎ができたと言えるだろう。

これからは日本の全ての人間に生まれながらの身分の差などはなく、ただその人の才能と人徳と社会的立場によってその地位が決まるのだ。例えば政府の役人を軽んじてはならないのは当然だが、これはその役人自身が尊いのではなく、その人がその才能と人徳によって役職に就き、国民のための尊い法律を扱うからこそその人に敬意を払うのだ。人間が尊いのではなく、国法が尊いのである。

旧幕府の時代、東海道に将軍様御用達の御茶壺を運ぶ一行が通る時には、近隣の住民はその行列を恐れて家に閉じこもったものだ。将軍様の使う鷹は人よりも貴く、幕府の使う馬には旅人も道を譲るなど、御用の二文字さえ付ければ石でも瓦でも全部恐ろしく貴いものの様に見えてしまっていた。世の中の人々もはるか昔からこうした事を迷惑に思ってはいたが、一方でその事にすっかり慣れてしまっていて、身分の高い者も低い者も互いに見苦しい風俗を作り出していたのだが、結局これは幕府の法が尊いわけでも、それらの品々が尊いわけでもない。ただいたずらに政府が威張って、人を脅してその自由を妨害しようとする卑怯なやり方で、なんの意味もない空威張りでしかなかったのだ。

しかし今日に至っては、もはや日本全国にこの様な浅ましい制度や風俗は存在しないはずであるから、人々はみな安心して、もし政府に対して不満を抱くような事があれば、これを心に隠して政府に対する恨みを抱くのではなく、筋道に従って静かにそれを訴えて、遠慮する事なくその是非を議論すべきである。それが天の理と人の情にかなうものならば、命を懸けても争って主張すべきだ。これこそ国家の民としての責任である。

英訳文

After the Meiji Restoration, Japanese politics has extremely changed. The government has relations with other countries with international law, and governs the country with the policy of freedom and independence. The government has already allowed the commoners to have a family name and ride a horse. This is a brilliant achievement since the beginning of this country. It helps us to unite the four categories of the people, warriors, farmers, artisans and tradesmen.

From now on, all Japanese people are equal and you can achieve status with your ability, virtue and business. For example, it’s natural that you should not make light of government officials. This is not because they are noble, but because they have gained their position with their abilities and virtue, and manage the national law for the people. We should respect them not for themselves, but for the national law.

In the Edo period, when the procession transporting tea for the Shogun went along the Tokaido, neighborhood residents shut themselves up in their home with fear. Shogun’s hawk was nobler than people and travelers had to give way to Shogunate’s horses. People were afraid of even stones and tiles if those were used for Shogunate. People had thought that these were a nuisance from old times, but on the other hand, they had got used to them. These ugly custom had been made by both high and low class people. They did not respect either Shogunate’s law or those goods. It was just because Shogunate was arrogant, threaten its people and restricted their freedom. It was a cowardly way and meaningless bravado.

But nowadays, these shameful custom must no longer exist in Japan. So people should trust the government. If you are displeased with the government, you should not hide your grievance and should not have a grudge against it. You should appeal peacefully and argue the right and wrong of the matter. If your claim meets Heaven’s reason and humanity, you should assert it at the risk of your life. These are obligations as the people of a nation.

Translated by へいはちろう

学問のすすめの初編が発行されたのは1872年(明治5年)の事で、大日本帝国憲法が公布されたのはその17年後の1889年(明治22年)の事でござる。福沢諭吉が憲法制定や議会設立に果たした役割についてはここでは詳しく説明しないでござるが、儒学の徳治主義にそまっていた当時の人々に法治国家のなんたるかを説明するのは大変だったでござろうな。

なお途中ででてくる将軍様の御茶壺とは、京都の宇治茶を江戸まで運ぶいわゆる御茶壷道中の事で、三代将軍家光の頃に始まり、多い時には行列が1000人を超える時もあったそうでござる。その権威は相当なもので、街道の民衆は農繁期であっても田植えを禁止されたり、お腹がすいても飯炊きの煙を上げる事すら許されなかったそうでござるな。であるから人々とっては迷惑この上ないというのも当然の話で、当時の人々の心情が「ずいずいずっころばし」という童謡に残されているでござる。

ずいずいずっころばし ごまみそずい 茶壺に追われてとっぴんしゃん 抜けたらどんどこしょ

俵のねずみが 米食ってちゅう ちゅうちゅうちゅう

おっとさんがよんでも おっかさんがよんでも 行きっこなしよ

井戸のまわりで お茶碗欠いたのだぁれ

明治維新後にはさすがにこれほど馬鹿らしい事は無くなったでござろうが、福沢諭吉の期待に反して権威の拠り所が将軍から天皇に移っただけという見方も否めないでござるな。大日本帝国憲法が福沢諭吉の志向したイギリスではなく君主制的性格の強いプロイセン憲法を参考にしたからというのも理由の一つでござろうが、結局のところは福沢諭吉も今回の文で指摘している通り、長年かけて培われた徳治主義的な国民性が一番大きな理由だと拙者は考える次第でござる。

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学問のすすめ 初編 段落三 その一 学問するには分限を知る事肝要なり

学問のすすめの翻訳、初編 段落三 その一でござる。

現代語訳

 学問をするにあたっては責任を知る事も大事である。人が生まれた時には何に束縛される事もなく、男は男、女は女として、それぞれが自由であるけれども、ただ自由だけを主張して責任がある事を知らなければ、わがまま放題になってしまう。その知るべき責任とは、天の道理に基づいて人の情に従い、他人の迷惑にならない範囲で自らの自由を得るという事である。

自由とわがままの境界線は、他人の迷惑になるかどうかという点にある。例えば自分の稼いだ金を使ってする事ならば、酒や女遊びに溺れてやりたい放題やってもそれはその人の自由だと思うかも知れないが、決してそうではない。ある人がやりたい放題すればその真似をする者も現れて、ついには世の中全体の風紀を乱し人々の教化の妨げにもなるので、たとえ自分の金を使ってする事であってもその罪は許される事ではない。

また自由独立というのは個人の事だけでなく国家においても言える事である。日本はアジアの東の島国であって、古来より外国とは国交を結ばず、自国の産物を頼りに自給自足をしていたが、嘉永年間(1848-1854)にアメリカ人がやって来て外国との交易が始まり今日に至る。開国開港の後でも色々と議論があって、鎖国や攘夷などと口やかましく唱える者たちもあったけれども、これはとても狭い了見で、ことわざに言う「井の中の蛙」そのものであるから、そんな者たちの意見は取るに足らない。

日本も西洋諸国も同じ天地の間にあり、同じ太陽に照らされ、同じ月を眺め、海を共にし、空気を共にし、同じ人情の通い合う人間同士であるから、こちらで余ってる物をあちらに渡し、あちらで余っている物をこちらにもらって、お互いに教え学び合って、恥じる事も威張る事も無く、互いに便宜を計らい、互いの幸福を祈り、天の理と人の道に従って交際し、理のためにはアフリカの黒人奴隷に対しても恐れ入り、道のためにはイギリスやアメリカの軍艦ですら恐れず、国家がはずかしめられた時には、日本国中の人民が一人残らず命を懸けて国の威信を守る事こそ、一国の自由独立という事なのだ。

それなのに中国人みたいに他の国など存在しないかの様に思い上がり、外国の人間を見れば野蛮人と呼んでまるで動物のように見下して嫌って、自分の国の力も知らずに外国人を追い払おうとしてかえってその野蛮人に苦しめられるという様な始末は、国家の身の程を知らず、個人に言い換えれば天から与えられた自由を勘違いしてわがまま放題に陥っている様な者と言えるだろう。

英訳文

It is important to know obligations when you learn. When you were born, you were not restricted by anyone. As a man or a woman, everyone is free. But if you don’t know that you also have obligations, you will become selfish. The obligations are, that you have to be based on Heaven’s reason, follow humanity, and obtain your freedom without bothering others.

The border between freedom and selfishness is whether you bother others or not. Perhaps you think it is your freedom to indulge in debauchery and waste your own money. But it is wrong. If you did such a thing, others would imitate you, then they would corrupt public morals and obstruct the civilization of the people. So you don’t have the right to do such a thing even if you have money.

Freedom and Independence are not only for individuals but also for nations. Japan is an island country of east Asia, and had been isolated and self-sufficient from old times. But in the Kaei period (1848-1854), Americans came to Japan and began trade with us. Even after the opening of the country, many people were advocating isolationism and exclusionism. But they were just narrow-minded, as the proverb says “The frog in the well doesn’t know the ocean.” We don’t have to listen to such people.

Japan and Western countries are between the same Heaven and Earth, bask in the same sun, look up the same moon, and share oceans and the atmosphere. As human beings we can understand each other. So we should give them our surplus and get their surplus, teach and learn each other. We don’t have to be ashamed or arrogant. We should cooperate with them and pray for them each other, associate with them by following Heaven’s reason and humanity, yield to even black slaves if they have reasonable grounds, and not yield to even English or American battle ships if they are against humanity. If they dishonored our country, all Japanese people should stand up for national prestige at the risk of our lives. This is the national freedom and independence.

Chinese people are arrogant as if there were no other countries. They call foreign people “barbarians” and look down them as if they were not human being. They don’t understand their national strength and are trying to get rid of foreign people. But they are suffered from foreign people by contraries. They don’t know their place. In other words for individuals, they misunderstand their freedom and have been selfish.

Translated by へいはちろう

初編の三段落目は少々長いので二回にわけて掲載するでござる。

さて段落一の時にも言ったでござるが、学問のすすめにおける福沢諭吉は古典的自由主義の素朴な信奉者という風があって、実にシンプルというか解りやすい主張が多いでござるな。

今日では自由主義と一口に言っても、社会自由主義があったり新自由主義があったりと同じ自由主義を名乗りながらまるで真逆とも思えるややこしい状態になっているでござるが、それは古典的自由主義で解決できぬ新たな問題が発生したからでござる。

学問のすすめ発行当時の人々がこの書物によって受けた衝撃は想像を絶するものがあるでござろうが、その一方でなんとなくある種の羨望の様なものを禁じ得ないのは拙者だけでござろうか。

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学問のすすめ 初編 段落二 身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり

学問のすすめの翻訳、初編 段落二でござる。

現代語訳

 ここで言う学問とは、ただ難しい字を知って、解りにくい昔の本を読み、和歌を楽しんで自らも詩を作るなどという、世間一般で言うような実用性の無い学問の事を言っているのではない。確かにこれらの学問も人々の心を楽しませ、役に立つ事もあるが、昔からの儒学者や国学者たちが言うほどにありがたがるものでもない。

昔から漢学者には生計を立てる事が上手な者は少なく、和歌が上手で商売も上手という町人も少ない。そんな事だから心ある町人や百姓には、自分の子供が学問に一生懸命に励むのを見て、やがて財産をすべて失ってしまうのではないかと親心から心配する者までいる。これは無理もない事だ。つまりはそれらの学問が実用には役立たず、日常生活で使い物にはならないという良い証拠である。

ならばこうした実用性に乏しい学問はとりあえず後回しにして、今一生懸命に学ぶべきなのは日常の生活で役立つ実学である。例えば、いろは四十七文字をまず習って、手紙の書き方、帳簿のつけ方、算盤の稽古、天秤の使い方を覚えるなど、学ぶべき事はとても多い。

地理学とは日本全国はもちろん、世界中の国々の風土を学ぶ学問である。物理学とはこの世の全ての物事の性質を見て、その働きを知る学問である。歴史学とは年代記をより詳細にしたもので、過去から現在に至るまでの世界の動きを研究するものである。経済学とは一人の人間、一つの家庭の家計から世界全体の金の流れまでを説明するものである。修身学とは行動の仕方や、人との付き合い方や世間での振る舞い方の道理を述べたものである。

これらの学問をするにあたっては、いずれも西洋の原文の翻訳書を調べ、できるだけ難しい漢字を使わず優しい言葉を使い、あるいは若くして学問の才能がある者には西洋の原書を直接読ませて、それぞれの学問で事実を大事にし、客観的な事実に従い、身近な物事の道理を追及して今現在必要とされている目的を達成すべきである。

このような学問は人間ならば普通に知っておくべき実学であり、人ならば身分の上下に関係なくみんなが身につけるべき教養である。これらの教養が備わった上で士農工商のそれぞれが自分の責務を果たし、それぞれの家業を営んで、一個人が独立し、一家が独立すれば、それでこそ国家も独立する事ができるだろう。

英訳文

Learning does not mean practically useless studies, such as only to learn difficult kanji characters, to read difficult old books, to enjoy waka poems or to compose poetry. These studies are entertaining and sometimes useful. But they are not so valuable as Confucians and Kokugaku scholars say.

There are few scholars of the Chinese classics who are good at livelihood and townspeople who are good at both waka poetry and business from old times. So thoughtful townspeople and farmers are worried about their children, that they may lose their property by learning too hard. We cannot blame them. This is a good evidence that those studies are practically useless in daily life.

So you have to learn practical sciences that are useful in daily life now and leave useless studies until later. For example, you have to learn 47 hiragana characters at first. Then letter writing, accounting, calculation and how to use a balance. You have a lot of things to learn.

Geography is a science to guide not only Japan but also natural features of all countries in the world. Physics is a science to study all phenomena in the world and to know those workings. History is a science, as it were more detailed Chronology, to study the world’s transition from past to present. Economics is a science to explain from a person’s and a family’s budget to the money flow around the world. Moral science is a science to learn how to behave, how to associate with others and how to conduct yourself in society.

When you learn these sciences, you have to consult translations of original western books, use easy words instead of difficult kanji characters, make talented young people read original western books, value facts in each science, follow objective facts, pursue reasons of your near affairs and accomplish your purpose in need now.

These are practical sciences and common knowledge that all people should learn regardless of one’s status. After you learn them and fulfill your obligations according to your each status, a person, a family and a nation can be independent.

Translated by へいはちろう

前回も少し触れたでござるが、学問のすすめという書物は特に前半において福沢諭吉独自の考えを述べるというよりも、当時の西洋の文化や学問を日本人に紹介する訳述書という傾向が強いでござるな。それはこの本が作られるに至った過程にも関係がある事でござるが、だからと言ってまったく独創性が無いという事ではないでござる。

特に今回の文で言えば「身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり (原文)」の部分が、西洋の文化というよりも儒学の四書の一つである大学の中の一節、「修身、斉家、治国、平天下 (身を修め、家を斉え、国を治めて、もって天下を平らかにする)」の影響が見受けられて面白いでござるな。

福沢諭吉は当時の儒学や国学の旧態依然としたあり様にほとほと嫌気を指していたのでござるが、実は父親が儒学者であり、自身も若い年頃に白石照山に師事して学び漢学の素養は十分にあったのでござる。それだけに当時の日本人にも馴染みやすい表現のツボというものを心得ていたのでござろう。大いに見習いたいものでござるな、英語だけを学んでも良い訳文は書けない。

さて翻訳といえばこれまでこのブログでは、論語や老子などを原文・書き下し分・英訳文・現代語訳の順番で掲載していたでござるな。特に現代語訳より英訳文を先に掲載していたのは、そもそもこのブログが拙者の英語学習のために運営されており、現代語訳や解説はそのついでみたいな扱いだったからでござる。翻訳の順番もまず英訳文を作り、その後で解りやすい言葉になおした現代語訳を作っていたでござるよ。なので実は英訳文の方が原文に近い表現をしている事が多かったのでござる。

しかし今回の学問のすすめではまず先に現代語訳を作り、後に英訳文を作るという手順になっているでござる。これは掲載の都合だけでなく、原文が非常に解りやすいので現代語訳と英訳文で違いが出にくいという理由もあるでござる。

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