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学問のすすめ 二編 段落二 その二 権理に至ては地頭も百姓も厘毛の軽重あることなし

学問のすすめの翻訳、二編 段落二 その二でござる。

現代語訳

天が人間を造り出す時には、これに体と心の働きを与えて、人々自らこの権利を全うする様にと仕掛けを施してくれている。だからどんな理由があろうともこの権利を侵してはならない。大名の命も肉体労働者の命も、命の重さという点では同じである。豪商にとっての百万両の金も、飴売りの四文の小銭も、自分の財産としてこれを大切にする心は同じである。

世間の悪い諺にある様に「泣く子と地頭には勝てぬ」とか、あるいは「親と主人は無理を言うもの」などと言って、人の権利を平気で踏みにじる様な事を言う人がいるけれども、これは世間の有様と生来の権利を取り違えた意見である。

地頭と百姓はその有様こそ違うものの、その権利はまったく同じである。百姓の体で痛いと感じる事は、地頭の体でも痛いはずであるし、地頭の口で甘いと感じる物は、百姓の口にも甘いはずである。痛い事を避けて甘い物を欲しがるのは人として当然の感情であるし、他人の妨げにならない範囲で自分の感情に従う事は、すなわち人としての権利である。この権利においては、地頭と百姓の間にほんの少しの違いも無い。ただ地頭は裕福で強く、百姓が貧しく弱いというだけの事なのだ。

貧富や強弱の違いは人の有様の違いなので、元より同じであるはずが無い。だからと言って、富強である事をかさに着て、貧弱な者に無理を押し通そうとするのは、有様が違う事を利用して他人の権利を侵害する行為ではないか。これを例えるならば、相撲取りがその腕力を頼みに、力づくで隣の人の腕をへし折るようなものである。この隣の人は確かに相撲取りよりも弱いはずであるけれども、弱ければ弱いだけの腕の力を使って、自分の良いように活用しても良いはずなのに、何の理由もなく相撲取りによって腕を折られたとしたら、迷惑この上ないと言わざるを得ない。

英訳文

When Heaven created people, everyone was given functions of body and mind to fulfill these rights. So we must not violate the rights, no matter what. Feudal lords’ and manual workers’ lives have the same value. A wealthy merchant makes much of his one million and a candy seller makes much of his five cents, they have the same feelings to care their property.

There are bad proverbs, they say “You cannot win against a crying baby and a liege lord.” or “Parents and lords speak nonsense and you have to obey.” Some people use these proverbs and insist that human rights can be taken away. But they are confusing people’s status and human rights.

A liege lord and a peasant have different statuses, but they have the same rights. A thing that a peasant feels pain, is a thing that a liege lord also feels pain. A food that a liege lord tastes sweet, is a food that a peasant also tastes sweet. It is natural that they avoid pains and want sweets. So it is a human right that people acquire their desires, without bothering others. From the point of view of this right, a liege lord and a peasant are the completely same. A liege lord is only wealthy and strong, and a peasant is only poor and weak.

Wealth and poverty, strength and weakness are statuses and people are not the same from the point of this view. But if you force poor and weak people with your wealth and strength, it is a violation of rights by taking advantage of the difference of statuses, isn’t it? This is, so to speak, a sumo wrestler breaks his next person’s arm with his arm power. Of course, this next person is weaker than a sumo wrestler. But he could have used his weak arms and acquired his desires. It is a disaster to be broken one’s arm by a sumo wrestler without any reason.

Translated by へいはちろう

人権や権利というのは、言うまでもなく近代民主国家を支える理念の中でも最も重要とされるものでござる。時には権利の濫用が問題視される事もあって、その濫用を防ぐために権利そのものを制限しようなどという本末転倒な主張をする人も少なくないでござるが、福沢諭吉はそういう考え方をどう思うのでござろうか。

もちろん権利を濫用して他者に迷惑をかける事は許されない。しかしそれは自分の権利を重んじるのと等しく他者の権利を重んじるという、ごく単純な等価交換の原則に従うだけで解決する問題でござる。それを人々の権利を制限して問題を解決しようとすれば、「自分の権利が制限されたなら他者の権利も制限してやろう」という悪循環を生み、結局社会全体が損害を受ける事になる。

罪を犯せば罰せられるのは当然でござる。しかし同時に無実の罪で罰せられる事のないように裁判を受ける権利がすべての人々に保証されているでござるな。ここで犯罪者を憎むあまりに裁判を受ける権利を制限したならば、いずれ無実の罪を着せられる人が出るでござろう。そしてその罪は国家とすべての国民の罪でござる。

まあこの様な事はわざわざ拙者が言う前に近代教育を受けて育った人々には常識なのでござるが、人間の心というのは不思議なもので、どうしてか同じような議論が近代民主国家の成立からずっと繰り返されているのが不思議といえば不思議でござるな。

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学問のすすめ 二編 段落二 その一 有様の等しきを云うに非ず、権理通義の等しきを云うなり

学問のすすめの翻訳、二編 段落二 その一でござる。

現代語訳

 だから今、人と人とを比べたなら、これは同等と言わざるを得ない。ただしその同等とはその有様が等しいという事ではなく、生まれ持った権利が等しいという事である。人の有様について言うならば、貧富、強弱、頭の良し悪しなどにも大きな差があるし、大名や華族などといってお屋敷に住んで綺麗な服を着ておいしいものを食べる者がいれば、肉体労働者として路地裏の借家に住んでその日の衣食に困る者もいる。あるいは才知豊かで政府の役人や商人になって天下を動かす者もあれば、知恵や分別を持たずに一生飴やお菓子を売る者もいる。あるいは強い相撲取りがいれば、弱いお姫様もいる。いわゆる雲泥の違いを生じているのだが、その一方でそれぞれの生まれ持った権利に関して言うならば、やはり同等でほんの少しの違いも無い。その権利とは、その生命を重んじ、その財産を守り、その立場や名誉を大切にするという人として当たり前の権利である。

英訳文

From the point of this view, everyone is certainly equal. However, this does not mean the equality of status. It means the equality of rights. When it comes to status, there are big differences among people, such as the poor and the rich, the strong and the weak, and the wise and the fool. There are feudal lords and the aristocracy who live in a mansion, wear good clothes and eat good food; manual workers who live in a small rented house in a back street and are in need of food and clothes; talented people who become bureaucrats or merchants and have power; incompetent people who sell candies for life; strong sumo wrestlers; and weak princesses. However, when it comes to human rights, there is no difference among people. The rights are: the right to life, the right to protect one’s property and the right to defend one’s honor.

Translated by へいはちろう

今回の文にも非常に翻訳の難しい言葉がでてくるのでその話をするでござる。

福沢諭吉は英語の “right” という概念を日本語で表現するにあたって原文では「権理通義」という言葉を使っているのでござる。現在使われる「権利」という訳語は同時代の思想家の西周(にしあまね)によるものでござるな。そこで「理」という言葉の持つ意味ついては二編の端書の時に解説したので、今回は「利」という言葉の持つ意味ついて少し語らせていただく所存でござる。

「利」というといかにも自己の利益ばかり追求するような悪いイメージを抱く人も多かろうと思うのでござるが、それは福沢諭吉が嫌悪した儒学の影響でござる。かつて先秦時代の中国には「兼愛交利」という、より広い視点からみた利益の重要性を説いた墨家という思想もあったのござるが、朱子学全盛の江戸時代の日本において「利」を求める事は、それが自分のためであろうと他人のためであろうと、ただそれだけで悪いことであるとされていたのでござる。この辺の考え方は現代人には少々理解しがたいかも知れないでござるが、単純に言うなら「公共の利益」という考え方が無かったと思っていただければよろしい。

これに対し福沢自身はといえば、これまでに繰り返し述べられているように「他人に迷惑をかけない限り」、自分の利益を追求する事を否定してはいないし、むしろそれが「通義」であり「権理」であると強調さえしているでござるな。そもそもベンサムやミルの功利主義の延長線上に当時の民主主義があるからには、人々が「利」を求める事を否定したらそれは民主主義の否定でござる。また学問のすすめだけに限らず福沢の思想は功利主義的傾向が強く、そういう意味では福沢も “right” を「権利」と訳してもよかったはずでござる。

しかし上述の通り当時の「利」という言葉には大きな誤解を生じる可能性があった。だから福沢はより普遍的な意味を持たせるために「権理通義」、すなわち「理」と「義」という朱子学の影響を受けた人々にも受け入れやすい言葉をその訳語に用いたのでござろう。福沢はその思想の根幹をなす “right” が過小評価される事を恐れたのではないでござろうか。

実際の「権利」が明治政府とその国民にどういう形で受け入れられていったかについては、ここで語るつもりはないでござる。しかし現代に生きる日本人にとっては当たり前すぎてその大切さを忘れがちな「権利」について、少し考えてみるというのも良いのではないでござろうか。

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学問のすすめ 二編 段落一 人は同等なる事

学問のすすめの翻訳、二編 段落一でござる。

現代語訳

人は平等だという事

 初編の冒頭で私は、「人は皆すべて同じ身分に生まれ、上下の区別なく自由自在である」と言った。今この意味するところを広げて解りやすく説明しよう。人が生まれてくるのは天がそういう風にしているのであって、人の力によって生まれてくるのではない。これらの人々が互いに敬愛して、それぞれの役目を果たして互いの邪魔をしないというのは、もともと同じ人間であり、ただ一つの天を共有し、お互いが天地の間に生きる被造物だからである。例えるなら一つの家庭の兄弟が仲良くするのと同じで、もともと同じ家の兄弟であり、同じ両親を持っているという人として当たり前の事実がある様なものである。

英訳文

Everyone is equal.

In the beginning of the first chapter, I said, “All men are created equal and free.” Now I explain it in detail. All men are born by Heaven’s will, not by human power. All people should love and respect each other, fulfill their duty and should not bother others. Because they are the same human beings, share the same heaven and are creations between heaven and earth. This is about the same, that siblings love each other because they are in the same family and have the same mother and father.

Translated by へいはちろう

こうして福沢諭吉がことさらに繰り返して強調するのは、もちろん当時の人々にとって「人は平等ではない」という考えの方が常識だったからでござろう。

およそ100年に及ぶ戦乱と下剋上の世を経て成立した江戸幕府が、統治原理の柱として身分制を肯定する朱子学を採用した事については決して間違いではなかったと拙者は考える次第でござる。少なくとも約260年にわたって大きな戦乱もなく、人々の暮らしや文化が大いに発展した事実については認めなければならないでござろう。

しかし260年も経てば時代は変わり、当初良かった事の悪い部分が次第に表れるようにもなる。特に国内ではなく外部に大きな戦乱の火種がくすぶるような時代には合わなくなるのも当然と言えば当然でござるな。

明治維新によって実際にどれだけ人々が平等になったのかについては、人それぞれ受け取り方も違うと思うのでここであえて触れないでござる。

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学問のすすめ 二編 端書 唯文字を読むのみを以て学問とするは、大なる心得違いなり

学問のすすめの翻訳、二編 端書でござる。

現代語訳

 一言で学問と言ったところで、無形の学問もあれば有形の学問もある。心理学、神学、哲学などは無形の学問である。天文学、地理学、物理学、化学などは有形の学問である。いずれの学問においても重要な事は、知識や見聞を広くして、物事の道理を弁え、人としての務めを知る事である。知識や見聞を広げるためには、人の意見を聞いたり、自ら考えて工夫をこらしたり、書物を読まなければならない。だから学問をするには文字を読む事ができなければならないが、昔から人々が思っているように、ただ難しい文字を読む事だけを学問と呼ぶのは大きな勘違いである。

文字は学問をするための道具でしかなく、例えるならば家を建てるのにトンカチやノコギリが必要となるのと同じである。トンカチやノコギリが無ければ家を建てる事はできないが、その道具の名前を知っているだけで家の建て方を知らない様な者は大工とは呼べない。そういう訳であるから、ただ難しい文字の読み方を知っているだけで物事の道理を知らない様な者は、学者と呼ぶには値しない。いわゆる「論語読みの論語知らず」とはこの事である。

たとえ我が国の古事記は暗唱できても、今日の米の相場を知らない者は、家庭の経済に暗い人間と呼ぶべきである。たとえ古い経典や史書といった書物の奥義を極めていたとしても、商売の方法や正しい取引のやり方も知らないというのでは、会計に暗い人間と呼ぶべきである。たとえ数年の苦労を重ね、多額の資金を費やして西洋の学問を修めたとしても、自立して生計を立てる事ができないというのであれば、時勢に暗い人間と呼ぶべきである。この様な人々は、単なる文字学問の問屋みたいなものである。食事をする辞書とも言える。国家にとってはまるで役に立たず、その経済活動を妨げる無駄飯食らいと言っても良い。

だから家庭の経済も学問である。会計も学問である。時勢を読む事もまた学問である。和漢西洋を問わず、ただ書物を読む事だけをもって学問と言うのではない。この本の表題は学問のすすめと名付けたけれども、決して本を読む事だけを勧めている訳ではない。この本に書いてある内容は、西洋の書物の文をそのまま翻訳し、あるいはその意味を分かりやすく意訳し、有形のものも、無形のものも、多くの人々の心得とすべき事柄を選んで、学問をするその大きな目的を示したものである。以前書いた一冊を初編とし、その内容を拡げて今回の二編を書いたが、今後三編、四編と続ける予定である。

英訳文

There are many kinds of studies. Psychology, theology and philosophy are immaterial studies. Astronomy, geography, physics and chemistry are material studies. In either case, you must have broad knowledge and know the reasons of things and your duty. To have broad knowledge, you have to hear others’ opinions, think by yourself and read books. So you have to be able to read when you learn. But it is a big mistake if you think that learning is just reading books like the people of former days.

Reading is just a means of learning. For example, you need a hammer and a saw to build a house. But if you know only their names and don’t know how to build a house, you cannot be a carpenter. Therefore a person who can only read difficult books and doesn’t know the reasons of things is not worthy of the name of scholar. He is a so-called “learned fool”.

A person who can recite Japanese history but doesn’t know the current market price of rice, is a person who doesn’t know domestic economy. A person who has a thorough knowledge of Chinese classics but doesn’t know how to trade, is a person who doesn’t know accounting. A person who learned Western studies well with spending a lot of time and money but cannot make a living by himself, is a person who doesn’t know the trend of the times. These people are just wholesalers of studies. They are not different from dictionaries that eat foods. They are useless for the nation and are burden on national economy.

So domestic economy is a study. Accounting is a study. To know the trend of the times is a study, too. Learning does not mean only to read Japanese, Chinese and Western books. I named this book “An Encouragement of Learning”, but I don’t encourage just only reading books. I wrote in this book, from Western books, with translating literally or freely, material and immaterial things that you should know, to show you the great purpose of learning. I made the former booklet the first chapter, and I expand it and wrote this second chapter. Next I will write the third and fourth.

Translated by へいはちろう

今回の翻訳は実に骨が折れたでござる。この端書の原文の冒頭には、「学問とは広き言葉にて、無形の学問もあり、有形の学問もあり。心学、神学、理学等は形なき学問なり。天文、地理、窮理、化学等は形ある学問なり。」とあるのでござるが、これらの学問名の翻訳が実に難しい。何しろ当時は西洋の学問が日本に紹介されたばかりで、それらの学術用語の日本語訳も現在の様には定まっていなかったからでござる。

まず「心学」でござるが、単純に字面だけを見るとこれは Psychology = 心理学 を指すのではないかと思う。そこで心理学の歴史を調べてみると、福沢諭吉当時の心理学は西洋では哲学の一部門として Mental Philosophy 呼ばれていたところ、同時代の啓蒙家である西周(にしあまね)が「心理学」という訳語を当てたと判明。よってここでの「心学」は心理学を指すと考えて差支えないと判断した次第でござる。

次に「理学」。これも字面だけを見ると (Natural) Science = 自然科学の訳語のように思われるが、しかし有形の地理や化学と対比して、神学と同じ分野の無形の学問とされているのでおそらく違う。少し調べると同時代の啓蒙家である中江兆民が Philosophy という単語の訳語に「理学」という言葉を使用している事が判明。今日使われる「哲学」という訳語を作ったのはこれまた西周でござるな。ここで「理」という字あるいは言葉が持つ意味の、当時と今日での違いを一度整理しなければならなくなったのでござる。

現代では自然科学系の学問は「理系」などと表現される事が多いでござるが、そもそも西洋における自然科学は哲学から派生した学問でござるな。その系譜をさかのぼればアリストテレス等のギリシャ哲学に行き着くのでござるが、福沢当時の西洋でも、自然科学が Natural philosophy = 自然哲学と呼ばれる事もしばしばだったのでござる。

これに対し東洋において「理」という言葉をその思想のキーワードとして使ったのは、福沢によって当時まさに批判の対象とされていた朱子学でござる。別名で「宋学」とか「宋明理学」とか呼ばれるこの学問の大きな特徴は、福沢の大嫌いな攘夷思想と、この世の仕組みを「理」という言葉で説明をした点でござる。

朱子学における「理」をごく簡単に説明すると、中国では古来より陰陽五行(木火土金水)によって万物が循環すると考えられていたのでござるが、この循環に秩序を与える存在として考えれられたのが「理」でござる。万物というからには人間や人間社会も同様で、「理」を失ってしまえば個人であれば悪人となり、社会であれば混乱するという訳でござる。「真理」とか「倫理」という日本語もおそらくこの影響を受けているのでござろうな。

そして福沢はここで「理学」を無形の学問とし、有形の学問の中では別に「窮理」という言葉を使っている。実はこの「窮理」というのも元々は朱子学の言葉なのでござるが、もちろんあくまで便宜的に借用しただけでその意味する所は別のものでござろう。以上の事と原文の文脈を踏まえて「窮理」を広義における物理学と解釈して差支えないと判断し、同時に「理学」を狭義における哲学(あるいは形而上学)と判断。厳密に訳すならともかく、解りやすい言葉で簡潔に訳すならばこれしか無いと結論した次第でござる。

とまあ以上の様な説明でみなさんに納得していただけるかどうかは解らない。何しろここに書いた事の何倍も調べたのでござるが、それでも拙者自身がいまいち納得できないでいるからでござる。

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学問のすすめ 初編 端書

学問のすすめの翻訳、初編 端書でござる。

現代語訳

 このたび我々の故郷である中津に学校を開くにあたり、古い付き合いの同郷の友人のために学問の目的を記して一冊にまとめたのだが、ある人がこれを見て、「この本は中津の人だけに見せるのではなく、広く世間の人々に見てもらった方がより世のためになる」と勧めてくれたので、慶應義塾にあった活字版によって印刷し、同じ志を持つ人々にも見てもらう事にした。

明治四年(1871年)十二月  
福沢諭吉         
小幡篤次郎記       

英訳文

When we established a school in our hometown Nakatsu, we wrote the purpose of learning for our old friends. Someone read it and proposed, “You should publish this booklet not only to the people of Nakatsu, but also to the Japanese public. If so, it will benefit more people.” Thus we printed this book with a letterpress printing machine at Keio Gijuku, for the people who have the same ambition with us.

December, 1871      
Fukuzawa Yukichi   
Obata Tokujirō       

Translated by へいはちろう

この端書まで翻訳する必要があったのかどうかは解らないでござるが、この機会に「学問のすすめ」が発刊された時代背景や福沢諭吉の略歴を簡単にまとめたいと思うでござる。ご覧のとおり学問のすすめの初編が書かれたのは明治4年(1871年)、発刊されたのは翌年の明治5年の事でござる。福沢諭吉は天保5年(1835年)の生まれでござるから、当時は37歳でござるな。

豊前国(大分県)中津藩の下級藩士の次男として生まれた福沢は、当時の武士の子弟の常として幼い頃から漢学を学び一通りの漢籍は修めたそうでござる。安政元年(1854年、19歳)には長崎に遊学して蘭学を学び、その後大阪へ移って安政4年には蘭学者・緒方洪庵の塾で最年少の塾頭になっているでござる。その才を買われて安政5年には江戸へ移り、江戸の中津藩邸に開かれていた蘭学塾の講師を務めるまでに至ったものの、安政6年、日米修好通商条約により外国人居留地となった横浜へ見物へ出かけた福沢はそこでオランダ語がまったく通用しない事に衝撃を受け、その後は英蘭辞書などを頼りに独学で英語の勉強を開始するのでござる。英語学習者としては、この時の福沢の英語に対する執念には感嘆を禁じ得ないでござるな。

その安政6年(1859年、24歳)の冬、日米修好通商条約の批准使節の護衛としてアメリカへ行く咸臨丸の艦長・木村摂津守の従者として渡米した福沢は、様々な日本との文化の違いに衝撃を受け帰国するでござる。そして文久2年(1862年)には幕府の翻訳方として渡欧、慶応2年(1866年、31歳)には見聞した西洋の文化制度を紹介した「西洋事情」の初編3冊を刊行しているでござる。

そして明治維新でござる。維新前に幕府の旗本となっていた福沢は、当初攘夷派の急先鋒と目していた新政府には良い感情をもっていなかったものの、新政府が予想に反して開明的な施策をするにつけ態度を軟化し、特に廃藩置県については高い評価をしているでござる。しかし再三の出仕の勧めは断り、あくまで在野の身分のまま教育・啓蒙活動を続け、明治4年(1871年)に故郷の中津市に旧藩主の協力を得て「中津市学校」を開設するにあたり、その初代校長となる同郷の小幡篤次郎と共に書いたのが、この学問のすすめの初編でござるな。

なおこの小幡篤次郎という人物は天保13年(1842年)の生まれでござるから福沢より7歳年下でござる。中津藩の家老・小幡氏の血筋に生まれ、藩校・進脩館にて漢学を学んでいたところ、元治元年(1864年)に福沢の勧めで江戸に出て英学を学び、慶應2年(1866年)から4年まで福沢の塾で塾長を務めているでござる (“慶應義塾”の呼称は慶應4年から)。その後貴族院議員などを経て明治23年(1890年)に再び慶應義塾塾長となり、明治34年(1901年)には社頭となって、福沢に次ぐ慶應義塾の中心人物として活躍しているでござるよ。

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