学問のすすめ 初編 段落三 その二 人の貴きにあらず、国法の貴きなり

学問のすすめの翻訳、初編 段落三 その二でござる。

現代語訳

王政復古、明治維新より以降、日本の政治は大いに様変わりし、外交では国際法に基づいて外国と交わり、内政では人民に自由独立の方針を示して、すでに平民にまで苗字を与えて馬に乗る事を許可した事は、我が国が始まって以来の素晴らしい事であり、士農工商の四つの身分が同等のものとなる基礎ができたと言えるだろう。

これからは日本の全ての人間に生まれながらの身分の差などはなく、ただその人の才能と人徳と社会的立場によってその地位が決まるのだ。例えば政府の役人を軽んじてはならないのは当然だが、これはその役人自身が尊いのではなく、その人がその才能と人徳によって役職に就き、国民のための尊い法律を扱うからこそその人に敬意を払うのだ。人間が尊いのではなく、国法が尊いのである。

旧幕府の時代、東海道に将軍様御用達の御茶壺を運ぶ一行が通る時には、近隣の住民はその行列を恐れて家に閉じこもったものだ。将軍様の使う鷹は人よりも貴く、幕府の使う馬には旅人も道を譲るなど、御用の二文字さえ付ければ石でも瓦でも全部恐ろしく貴いものの様に見えてしまっていた。世の中の人々もはるか昔からこうした事を迷惑に思ってはいたが、一方でその事にすっかり慣れてしまっていて、身分の高い者も低い者も互いに見苦しい風俗を作り出していたのだが、結局これは幕府の法が尊いわけでも、それらの品々が尊いわけでもない。ただいたずらに政府が威張って、人を脅してその自由を妨害しようとする卑怯なやり方で、なんの意味もない空威張りでしかなかったのだ。

しかし今日に至っては、もはや日本全国にこの様な浅ましい制度や風俗は存在しないはずであるから、人々はみな安心して、もし政府に対して不満を抱くような事があれば、これを心に隠して政府に対する恨みを抱くのではなく、筋道に従って静かにそれを訴えて、遠慮する事なくその是非を議論すべきである。それが天の理と人の情にかなうものならば、命を懸けても争って主張すべきだ。これこそ国家の民としての責任である。

英訳文

After the Meiji Restoration, Japanese politics has extremely changed. The government has relations with other countries with international law, and governs the country with the policy of freedom and independence. The government has already allowed the commoners to have a family name and ride a horse. This is a brilliant achievement since the beginning of this country. It helps us to unite the four categories of the people, warriors, farmers, artisans and tradesmen.

From now on, all Japanese people are equal and you can achieve status with your ability, virtue and business. For example, it’s natural that you should not make light of government officials. This is not because they are noble, but because they have gained their position with their abilities and virtue, and manage the national law for the people. We should respect them not for themselves, but for the national law.

In the Edo period, when the procession transporting tea for the Shogun went along the Tokaido, neighborhood residents shut themselves up in their home with fear. Shogun’s hawk was nobler than people and travelers had to give way to Shogunate’s horses. People were afraid of even stones and tiles if those were used for Shogunate. People had thought that these were a nuisance from old times, but on the other hand, they had got used to them. These ugly custom had been made by both high and low class people. They did not respect either Shogunate’s law or those goods. It was just because Shogunate was arrogant, threaten its people and restricted their freedom. It was a cowardly way and meaningless bravado.

But nowadays, these shameful custom must no longer exist in Japan. So people should trust the government. If you are displeased with the government, you should not hide your grievance and should not have a grudge against it. You should appeal peacefully and argue the right and wrong of the matter. If your claim meets Heaven’s reason and humanity, you should assert it at the risk of your life. These are obligations as the people of a nation.

Translated by へいはちろう

学問のすすめの初編が発行されたのは1872年(明治5年)の事で、大日本帝国憲法が公布されたのはその17年後の1889年(明治22年)の事でござる。福沢諭吉が憲法制定や議会設立に果たした役割についてはここでは詳しく説明しないでござるが、儒学の徳治主義にそまっていた当時の人々に法治国家のなんたるかを説明するのは大変だったでござろうな。

なお途中ででてくる将軍様の御茶壺とは、京都の宇治茶を江戸まで運ぶいわゆる御茶壷道中の事で、三代将軍家光の頃に始まり、多い時には行列が1000人を超える時もあったそうでござる。その権威は相当なもので、街道の民衆は農繁期であっても田植えを禁止されたり、お腹がすいても飯炊きの煙を上げる事すら許されなかったそうでござるな。であるから人々とっては迷惑この上ないというのも当然の話で、当時の人々の心情が「ずいずいずっころばし」という童謡に残されているでござる。

ずいずいずっころばし ごまみそずい 茶壺に追われてとっぴんしゃん 抜けたらどんどこしょ

俵のねずみが 米食ってちゅう ちゅうちゅうちゅう

おっとさんがよんでも おっかさんがよんでも 行きっこなしよ

井戸のまわりで お茶碗欠いたのだぁれ

明治維新後にはさすがにこれほど馬鹿らしい事は無くなったでござろうが、福沢諭吉の期待に反して権威の拠り所が将軍から天皇に移っただけという見方も否めないでござるな。大日本帝国憲法が福沢諭吉の志向したイギリスではなく君主制的性格の強いプロイセン憲法を参考にしたからというのも理由の一つでござろうが、結局のところは福沢諭吉も今回の文で指摘している通り、長年かけて培われた徳治主義的な国民性が一番大きな理由だと拙者は考える次第でござる。

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