ちょんまげ翻訳 和英」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 子路第十三の七 魯衛の政は兄弟なり

孔子の論語の翻訳320回目、子路第十三の七でござる。

漢文
子曰、魯衛之政兄弟也。

書き下し文
子曰わく、魯衛(ろえい)の政(まつりごと)は兄弟なり。

英訳文
Confucius said, “Politics of Lu and Wei are similar like brothers.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「魯と衛の政治はまるで兄弟のようなものだ。」

Translated by へいはちろう

魯の始祖である周公旦と衛の始祖の康叔封はともに周の武王の兄弟でござる。そんなことを言ったら当時の国の多くが周王室の血縁なのでござるが、大国にはさまれた小国であるという点や中華の中心近くにあって文化的に進んでいた点など共通点も多い国でござった。孔子は故郷である魯の次に衛に長く滞在しているでござるな。

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孔子の論語 子路第十三の六 其の身正しければ、令せざれども行わる

孔子の論語の翻訳319回目、子路第十三の六でござる。

漢文
子曰、其身正、不令而行、其身不正、雖令不從。

書き下し文
子曰わく、其の身正しければ、令(れい)せざれども行わる。其の身正しからざれば、令すと雖(いえど)も従わず。

英訳文
Confucius said, “If you are righteous, people act without your order. If you are not righteous, people do not obey your order.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「自分自身が正しくさえあれば、命令などしなくとも人々は行動する。自分自身が正しくなければ、例え命令をしたとしても人々は従いはしない。」

Translated by へいはちろう

この考え方の解り易い例として、儒学には「大義名分」という言葉があるでござるな。現在は自らの行動の正当性を担保するための根拠などを指すこの言葉は、元々は「自らの立場(名)による責任や役割(分)があり、経験則(主に論語などの四書五経)によって培われた価値判断(大義)によってその正邪善悪が決まる」という意味なのでござる。

「正」とか「義」とかを使わずに言えば、人々の上に立つ人間の行動は多くの人々に影響を与えるので慎重にせねばならない。また影響を受ける人々が納得しないような事はしてはならないし、どうしてもする必要があるのならば納得をさせるようにしなければならない。という事でござる。

孟子は「天は有徳の者に命じて天下を統治させる(天子)、天子が徳を失った時には別の者に天命を下すが、天の意志は万民を通じて示される」という革命論を主張し、天の意志=万民の意志という事を暗に示唆しているのでござる。この王朝交代の際に必要とされるのが今でいうところの大義名分でござるな。

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孔子の論語 子路第十三の五 多しと雖も亦奚を以て為さん

孔子の論語の翻訳318回目、子路第十三の五でござる。

漢文
子曰、誦詩三百、授之以政不達、使於四方不能専對、雖多亦奚以爲。

書き下し文
子曰わく、詩三百を誦(しょう)し、これに授くるに政(まつりごと)を以(もっ)てして達せず、四方に使いして専(ひと)り対(こた)うること能(あた)わざれば、多しと雖(いえど)も亦(また)奚(なに)を以て為さん。

英訳文
Confucius said, “It is useless to learn poems, if you cannot manage your official duty and diplomatic negotiations even if you can learn three hundred poems by heart.”

現代語訳
孔子がおっしゃました、
「たとえ300以上の詩を暗誦できたとしても、政務をこなせず外交交渉もまとめる事ができないようであれば、学んだ詩文に何の意味があるだろうか。」

Translated by へいはちろう

いやいやあなたは実務能力があるかどうかはともかく、まったく政務に携わろうとしなかった顔回を弟子の中でもっとも高く評価していたではないですか。というツッコミを思わずいれたくなってしまう拙者は、どうしようもないあまのじゃくでござるな。

孔子のおっしゃりたかったことは詩文の中にある教訓を学びとって生かす事が大切だ、ということでござる。そして他の弟子達とは違って、顔回はさらに大切な事をおそらく肌身で感じるタイプの人間だったと拙者は解釈している次第。

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孔子の論語 子路第十三の四 焉んぞ稼を用いん

孔子の論語の翻訳317回目、子路第十三の四でござる。

漢文
樊遅請學稼、子曰、吾不如老農、請學爲圃、子曰吾不如老圃、樊遅出、子曰、小人哉樊須也、上好禮、則民莫敢不敬、上好義、則民莫敢不服、上好信、則民莫敢不用情、夫如是、則四方之民、襁負其子而至矣、焉用稼。

書き下し文
樊遅(はんち)、稼(か)を学ばんと請(こ)う。子曰わく、吾(われ)老農(ろうのう)に如(し)かず。圃(ほ)を為(つ)くることを学ばんと請う。曰わく、吾は老圃(ろうほ)に如かず。樊遅出(い)ず。子曰わく、小人(しょうにん)なるかな、樊須(はんす)や。上(かみ)礼を好めば、則(すなわ)ち民は敢(あ)えて敬(けい)せざること莫(な)し。上(かみ)義を好めば、則ち民は敢えて服(ふく)せざること莫し。上信を好めば、則ち民は敢えて情を用いざること莫し。夫(そ)れ是(か)くの如(ごと)くんば、則ち四方の民は其の子を襁負(きょうふ)して至らん。焉(いずく)んぞ稼を用(もち)いん。

英訳文
Fan Chi asked how to cultivate grain. Confucius replied, “An old farmer knows it better than me.” Fan Chi asked how to cultivate vegetables. Confucius replied, “An old farmer knows it better than me.” Fan Chi left the room. Confucius said, “He does not understand anything. If gentlemen value courtesy, the people respect them. If gentlemen value justice, the people obey them. If gentlemen value faithfulness, the people behave sincerely. If gentlemen are like these, many people come from all over the place with their children. We do not need to know about agriculture.”

現代語訳
樊遅(はんち)が穀物作りを学びたいと申し出た。孔子は、
「私よりお年寄りの農夫の方が詳しいだろう。」
と答えました。樊遅がさらに野菜作りを学びたいと申し出ると孔子は、
「私よりお年寄りの農夫の方が詳しいだろう。」
と答えました。樊遅が退出すると孔子は、
「あいつは何も解っていないな。もし上に立つ人間が礼儀を重んじれば、人々は彼らを尊敬するだろう。もし上に立つ人間が正義を重んじれば、人々は彼らに従うだろう。もし上に立つ人間が信義を重んじれば、人々は真心をもって行動するだろう。人の上に立つ人間さえこの様であれば、人々があちこちから子供を背負ってまでやってくるのだ。どうして農業など学ぶ必要があるだろうか。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

樊遅(はんち:姓は樊、名は須、字は子遅。孔子の弟子の一人。為政第二の五では孔子の御者をしている。)

集まってきた人間をどうやって食べさせるかという思案は孔子には無いのでござるな。農民は農作物を作るのが仕事だから勝手に耕作して勝手に食べて、ついでに年貢も納めてくれるだろうとでも言うのでござろうか。

孔子は樊遅を小人とまで言っているのでござるが、拙者は敢えて樊遅を擁護したい。樊遅が自分が食べる分だけを考えて農業を学びたいというのであれば確かに小人と言えるでござろう。孔子はそう思ったからこそこの様におっしゃったのでござる。

しかし人々を食べさせるために、灌漑設備を整えたり・新たな農法や道具を開発してひろめたり・開墾するために農民に農地を割り振ったり・余った食糧を備蓄したり足りない時には供出したり、人々の上に立つ人間がすべき事は数多くあるのでござる。確かに政治は「まつりごと」で、孔子は豊作を祈願したり雨乞いをしたりする「礼」の第一人者ではあるが、それだけでは儒学の技術軽視にもほどがあるといえるでござろう。

それに儒学者の尊敬してやまない聖帝たちは、確かに人格的にも立派であったが堯(ぎょう)は暦を定めて農民に種まき時を教え、舜(しゅん)は禹(う)に命じて黄河の治水をさせ、禹(う)は自ら率先して農業政策を行って人々を豊かにしたからこそ聖帝と称えられるのでござる。

孔子の真意は今回の文だけでは読みきれないのでござるが、孔子門下に農業に詳しい人間が一人くらいいても良かったはずだと拙者は思う次第。

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孔子の論語 子路第十三の三 名正しからざれば則ち言順わず

孔子の論語の翻訳316回目、子路第十三の三でござる。

漢文
子路曰、衛君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、子曰、野哉由也、君子於其所不知、蓋闕如也、名不正則言不順、 言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣。

書き下し文
子路(しろ)が曰わく、衛(えい)の君、子を待ちて政(まつりごと)を為さば、子将(まさ)に奚(なに)をか先にせん。子曰わく、必ずや名を正さんか。子路が曰わく、是(これ)有るかな、子の迂(う)なるや。奚(なん)ぞ其れ正さん。子曰わく、野(や)なるかな、由(ゆう)や。君子は其の知らざる所に於(おい)ては、蓋闕如(かつけつじょ)たり。名正しからざれば則(すなわ)ち言(げん)順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽(れいがく)興(おこ)らず、礼楽興らざれば則ち刑罰(けいばつ)中(あた)らず、刑罰中らざれば則ち民(たみ)手足を措(お)く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子、其の言に於て、苟(いやしく)もする所なきのみ。

英訳文
Zi Lu asked, “If Marquis of Wei appoints you as a minister, what will you do first, master?” Confucius replied, “I will surely correct names.” Zi Lu said, “You are it again! You really like roundabout. Why do you need to correct names, master?” Confucius replied, “You are quite rough. Gentlemen must not talk about what they don’t know. If names are not correct, words do not make sense. If words do not make sense, everyone can do nothing. If everyone can do nothing, courtesy and music do not become active. If courtesy and music are not active, punishment does not have fairness. If punishment does not have fairness, the people never feel relieved. So gentlemen must speak correctly with correct names. They must act if they talk. Gentlemen must speak carefully.”

現代語訳
子路(しろ)が孔子に尋ねました、
「衛公が先生をお迎えして政治をなさるとしたら、先生はまず何をなさいますか?」
孔子は、
「まず名の秩序を正すつもりだ。」
と答えられました。それを聞いた子路が、
「これだから先生は、本当に遠回りがお好きですね。どうして名の秩序を正す必要がありますか?」
と言ったので、孔子は、
「お前は本当にがさつだね、人格者たるもの自分に解らぬことには口出ししないものだ。もし名の秩序が正しくなければ、言葉の意味が混乱する。言葉の意味が混乱すれば、何事もできなくなってしまう。何事もできなければ、礼儀や音楽といった文化が盛んになることも無い。文化が盛んでなければ、刑罰をもって公正に人を裁くことができなくなる。刑罰が公正でなければ、人々は安心して体を休めることもできなくなってしまうだろう。だから人格者は、正しい名をもって正しく話すのだ。一度話したら必ず実行せねばならない。慎重に言葉を選び、軽々しい口を利いてはならんのだ。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

子路(しろ:季路とも言う。姓は仲、名は由、字は子路。詳細は公冶長第五の七に。)

なんともはや、見事に筋の通ったご意見でござる。要するに孔子は「人々が安心して暮らすためには政治が文化的でなければならない。そして文化の根本は言葉であり、言葉の秩序が正しくなければ文化は発展しない」、とおっしゃってるのでござるな。

ただし敢えて言わせてもらえれば、文化が発展すればこそ言葉というものは多様化するものだし、それを秩序だてようとすれば文化の発展を阻害しかねないと拙者は考えるでござる。

言語史を紐解くまでもなく、平安・鎌倉・江戸・明治の偉大な文人たち、英語ではシェイクスピア、そして誰より孔子自身が既存の言葉の秩序を打ち破って新たな秩序を築き上げてきたのでござる。

孔子が「仁」を人間が重んじるべき最大の美徳として意味づけた時、「いや仁には元々そんな意味はない、仁という文字には本来穀物を人に施すという意味しかない(字統)。」と言うようなものでござる。もし言葉を自分の価値観によって秩序だてようというのならば、それはひどい独善としかいい様がなく、政治権力をもって行うならばそれは独裁でござる。

ただ一方で文化の発展の結果として言葉の多様化が進むのならば、他方で淘汰されていく言葉が存在するのであって、歴史を学ぶ拙者としては過去の言葉が失われていくことに対しては寂しさを感じるのも確かでござる。

老子 第二十章
「はい」と答えるのと「うん」と答えるのにどれほどの違いがあるだろうか?

そして最終的に拙者はこの一言に尽きてしまうのでござる。気持ちを伝えること、言葉はそこから離れてはいけないのでござる。

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