孔子の論語の翻訳316回目、子路第十三の三でござる。
漢文
子路曰、衛君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、子曰、野哉由也、君子於其所不知、蓋闕如也、名不正則言不順、 言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣。
書き下し文
子路(しろ)が曰わく、衛(えい)の君、子を待ちて政(まつりごと)を為さば、子将(まさ)に奚(なに)をか先にせん。子曰わく、必ずや名を正さんか。子路が曰わく、是(これ)有るかな、子の迂(う)なるや。奚(なん)ぞ其れ正さん。子曰わく、野(や)なるかな、由(ゆう)や。君子は其の知らざる所に於(おい)ては、蓋闕如(かつけつじょ)たり。名正しからざれば則(すなわ)ち言(げん)順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽(れいがく)興(おこ)らず、礼楽興らざれば則ち刑罰(けいばつ)中(あた)らず、刑罰中らざれば則ち民(たみ)手足を措(お)く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子、其の言に於て、苟(いやしく)もする所なきのみ。
英訳文
Zi Lu asked, “If Marquis of Wei appoints you as a minister, what will you do first, master?” Confucius replied, “I will surely correct names.” Zi Lu said, “You are it again! You really like roundabout. Why do you need to correct names, master?” Confucius replied, “You are quite rough. Gentlemen must not talk about what they don’t know. If names are not correct, words do not make sense. If words do not make sense, everyone can do nothing. If everyone can do nothing, courtesy and music do not become active. If courtesy and music are not active, punishment does not have fairness. If punishment does not have fairness, the people never feel relieved. So gentlemen must speak correctly with correct names. They must act if they talk. Gentlemen must speak carefully.”
現代語訳
子路(しろ)が孔子に尋ねました、
「衛公が先生をお迎えして政治をなさるとしたら、先生はまず何をなさいますか?」
孔子は、
「まず名の秩序を正すつもりだ。」
と答えられました。それを聞いた子路が、
「これだから先生は、本当に遠回りがお好きですね。どうして名の秩序を正す必要がありますか?」
と言ったので、孔子は、
「お前は本当にがさつだね、人格者たるもの自分に解らぬことには口出ししないものだ。もし名の秩序が正しくなければ、言葉の意味が混乱する。言葉の意味が混乱すれば、何事もできなくなってしまう。何事もできなければ、礼儀や音楽といった文化が盛んになることも無い。文化が盛んでなければ、刑罰をもって公正に人を裁くことができなくなる。刑罰が公正でなければ、人々は安心して体を休めることもできなくなってしまうだろう。だから人格者は、正しい名をもって正しく話すのだ。一度話したら必ず実行せねばならない。慎重に言葉を選び、軽々しい口を利いてはならんのだ。」
とおっしゃいました。
Translated by へいはちろう
子路(しろ:季路とも言う。姓は仲、名は由、字は子路。詳細は公冶長第五の七に。)
なんともはや、見事に筋の通ったご意見でござる。要するに孔子は「人々が安心して暮らすためには政治が文化的でなければならない。そして文化の根本は言葉であり、言葉の秩序が正しくなければ文化は発展しない」、とおっしゃってるのでござるな。
ただし敢えて言わせてもらえれば、文化が発展すればこそ言葉というものは多様化するものだし、それを秩序だてようとすれば文化の発展を阻害しかねないと拙者は考えるでござる。
言語史を紐解くまでもなく、平安・鎌倉・江戸・明治の偉大な文人たち、英語ではシェイクスピア、そして誰より孔子自身が既存の言葉の秩序を打ち破って新たな秩序を築き上げてきたのでござる。
孔子が「仁」を人間が重んじるべき最大の美徳として意味づけた時、「いや仁には元々そんな意味はない、仁という文字には本来穀物を人に施すという意味しかない(字統)。」と言うようなものでござる。もし言葉を自分の価値観によって秩序だてようというのならば、それはひどい独善としかいい様がなく、政治権力をもって行うならばそれは独裁でござる。
ただ一方で文化の発展の結果として言葉の多様化が進むのならば、他方で淘汰されていく言葉が存在するのであって、歴史を学ぶ拙者としては過去の言葉が失われていくことに対しては寂しさを感じるのも確かでござる。
老子 第二十章
「はい」と答えるのと「うん」と答えるのにどれほどの違いがあるだろうか?
そして最終的に拙者はこの一言に尽きてしまうのでござる。気持ちを伝えること、言葉はそこから離れてはいけないのでござる。
子路第十三の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 子路第十三を英訳を見て下され。