孔子の論語 子路第十三の二 小過を赦し、賢才を挙げよ

孔子の論語の翻訳315回目、子路第十三の二でござる。

漢文
仲弓爲季氏宰、問政、子曰、先有司、赦小過、擧賢才、曰、焉知賢才而擧之、曰、擧爾所知、爾所不知、人其舎諸。

書き下し文
仲弓(ちゅうきゅう)、季氏(きし)の宰(さい)と為(な)りて、政(まつりごと)を問う。子曰わく、有司(ゆうし)を先にし、小過(しょうか)を赦(ゆる)し、賢才(けんさい)を挙げよ。曰わく、焉(いず)くんぞ賢才を知りてこれを挙げん。曰わく、爾(なんじ)の知る所を挙げよ。爾の知らざる所、人其れ諸(こ)れを舎(す)てんや。

英訳文
When Zhong Gong became the magistrate of a city of Ji family, he asked about politics. Confucius replied, “You should manage your subordinate at first. Forgive their minor mistakes and appoint competent people.” Zhong Gong asked, “How can I find them?” Confucius replied, “At first, pick out from your acquaintances. And they will recommend competent people to you.”

現代語訳
仲弓(ちゅうきゅう)が季氏(きし)の街の長官になった時、政治について尋ねました。孔子は、
「まず部下である役人たちの事からはじめなさい。小さな過失は許してやり、有能な者たちを抜擢しなさい。」
と答えられました。仲弓は、
「どのように有能な者たちを見つけ出せば良いでしょうか?」
と聞いたので、孔子は、
「まずお前の知人の中から有能な者を選んで抜擢すれば、周囲の人間がこぞって有能な者たちを推薦してくるだろう。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

仲弓(ちゅうきゅう:姓は冉、名は雍、字は仲弓。詳細は雍也第六の一に。)

前半部は何をするにも人材が重要だと言う事でござるな。良い人材を選んでうまく活用せよということでござる。

後半部に関しては、「隗より始めよ」という有名な中国の故事(戦国策)から生まれたことわざがあるでござるな。

戦国時代の燕は大国である斉に罠にかけられた上に攻め込まれて国王まで殺されてしまった。なかば属国の国王として即位した燕の昭王はこの復讐をしたいと思い、宰相であった郭隗(かくかい)に相談した。

郭隗
「こんな話を聞いたことがあります。ある国王が、千金をもって千里を走る名馬をもとめましたが3年たっても手にいれることができませんでした。家臣の一人がその役目をひきうけると申し出たので国王はその者に千金を与えて名馬を買いにいかせました。そして名馬をようやく見つけ出すことができたのですが、残念ながら名馬は買いに行った時には死んでしまっていたのです。するとどう思ったのか、その家臣は五百金を出してその死んだ名馬の首を買って戻ってきたのです。国王はかんかんになって怒りましたが家臣は言いました、

“お待ちください、死んだ馬でさえ五百金を出したのです。生きた馬ならばもっと高く買ってもらえるだろうと考えて、続々と名馬が集まってくるでしょう。”

そして一年もたたないうちに千里を走る名馬が3頭もやってきたそうです。もし有能な人材を集めたいとお考えならば私を重く用いてください、そうすれば “隗でも重く用いるくらいだから、私はもっと重く用いられるだろう” と考えた人材が続々とやってくるでしょう。」

昭王は郭隗のために宮殿を造り、礼節をもって待遇した。すると戦国時代の名将楽毅(がくき)、劇辛(げきしん)、陰陽道の始祖である鄒衍(すうえん)などといった人材が集まり、燕は斉に復讐することができた。

今では、「言い出した人間からはじめなさい」という解釈もされるこのことわざの出典でござる。結局集まった人材のなかから有能な者を選びだすのは自分自身なのでござるが、なんらかの形で能力に対して対価を与えることを怠ると人材が集まるどころか流出してしまうのは当然の事でござるな。

子路第十三の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 子路第十三を英訳を見て下され。