孔子の論語 八佾第三の九 文献足らざるが故なり、足らば則ち吾能くこれを徴とせん

孔子の論語の翻訳49回目、八佾第三の九でござる。

漢文
子曰、夏禮吾能言之、杞不足徴也、殷禮吾能言之、宋不足徴也、文献不足故也、足則吾能徴之矣。

書き下し文
子曰わく、夏(か)の礼は吾(われ)能(よ)くこれを言えども、杞(き)は徴(しるし)とするに足らざるなり。殷(いん)の礼は吾能くこれを言えども、宋(そう)は徴とするに足らざるなり。文献(ぶんけん)足らざるが故(ゆえ)なり。足らば則ち吾能くこれを徴とせん。

英訳文
Confucius said, “I can explain rites of Xia dynasty, but there are not enough evidences in Qi (which is descendant of Xia). I can explain rites of Yin dynasty, but there are not enough evidences in Song (which is descendant of Yin). It is because of lack of data. If there were enough data, I could study from those.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私は夏王朝の礼について話をする事が出来るが、(夏の子孫である)杞の国には裏づけとなる資料が伝わっていない。また殷王朝の礼についても話をする事が出来るが、(殷の子孫である)宋の国には裏づけとなる資料が伝わっていない。もし十分な資料(史料)が残っていれば、私はもっとそれらから学べるのだが(残念だ)。」

Translated by へいはちろう

孔子のお気持ちを痛い程わかる、何故ならば論語も同じく十分な資料が足りないからでござる。何度か言及したのでござるが現在に伝わる論語は魏の時代の何晏による「論語集解(古注)」が最も古くそれ以前の論語は伝わっていないのでござる。(日本で主に知られる論語は南宋の朱子による「論語集注(新注)」)

中国の言語史をご存知の方ならば解ると思われるでござるが、孔子の周の時代から戦国、秦、漢を経て三国時代と言えば約800年程の時間が経過しており、特に使用されている文字が篆書体(てんしょたい)から隷書体(れいしょたい)に変わって、その変遷は非常に大きいものでござった。さらに秦の始皇帝による焚書坑儒(始皇帝は儒学の本を焼き儒学者を生き埋めにした)でどれだけの資料が失われた事でござろうか・・・

時代と共に変わらぬ物は無いのでござる、それがたとえ過去の聖人の言葉であろうとも資料が失われたり解釈が変わったりしていくらかの変遷をせざるを得ないものでござる。拙者はただの歴史オタクなので知的好奇心から残念に思うだけでござるけど。

八佾第三の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの孔子の論語 八佾第三を英訳を見て下され。