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孔子の論語 憲問第十四の二 克伐怨欲、行なわれざる、以て仁と為すべし

孔子の論語の翻訳345回目、憲問第十四の二でござる。

漢文
克伐怨欲不行焉、可以爲仁矣、子曰、可以爲難矣、仁則吾不知也。

書き下し文
克(こく)・伐(ばつ)・怨(えん)・欲(よく)、行なわれざる、以(もっ)て仁と為すべし。子曰わく、以て難(かた)しと為すべし。仁は則(すなわ)ち吾(われ)知らざるなり。

英訳文
(Yuan Xian asked,) “If a person can control his competitive spirit, pride, grudge and desire, can he be benevolent?” Confucius replied, “It is very difficult. But I don’t know whether he is benevolent or not.”

現代語訳
(原憲(げんけん)が尋ねました、)
「競争心、慢心、怨み、欲望、これらを自制できたら仁者と呼べるでしょうか?」
孔子は、
「それはとても難しいことだが、それで仁者と呼べるかは解らないな。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

原憲(げんけん:姓は原、名は憲、字は子思。詳細は雍也第六の五に。)

欲求を自制するだけでは仁とは言えないという事でござるな。

自制というのはどちらかと言えば消極的な行動でござる。孔子が考える仁とは積極的に人を思いやる心で、その結果として欲求を自制する必要が生じるかも知れないが、先に人の為を考える事を忘れてはならない。という事でござろうか。

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孔子の論語 憲問第十四の一 邦に道なきに穀するは、恥なり

孔子の論語の翻訳344回目、憲問第十四の一でござる。

漢文
憲問恥、子曰、邦有道穀、邦無道穀、恥也。

書き下し文
憲(けん)、恥を問う、子曰わく、邦(くに)に道あれば穀(こく)す。邦に道なきに穀するは、恥なり。

英訳文
Yuan Xian asked about shame. Confucius replied, “You can serve a country when it is in order. It is shame to serve a country when it is in disorder.”

現代語訳
原憲(げんけん)が恥について尋ねました。孔子は、
「国に秩序ある時は国に仕えて俸禄を受け取っても良い。しかし国が乱れている時に国に仕えて俸禄を受け取るのは恥だ。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

原憲(げんけん:姓は原、名は憲、字は子思。詳細は雍也第六の五に。)

泰伯第八の十三でも同じ様な事をおっしゃっているでござるな。

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孔子の論語 子路第十三の三十 教えざる民を以て戦う、是これを棄つと謂う

孔子の論語の翻訳343回目、子路第十三の三十でござる。

漢文
子曰、以不教民戰、是謂棄之。

書き下し文
子曰わく、教えざる民を以て戦う、是(これ)これを棄(す)つと謂(い)う。

英訳文
Confucius said, “To send uneducated people to a battlefield is as good as to abandon the people.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「教育を施していない民衆を戦場に送る事は、民衆を見捨てるのと同じ事だ。」

Translated by へいはちろう

今回で子路第十三は終了し、明日からは憲問第十四でござる。

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孔子の論語 子路第十三の二十九 民を教うること七年、亦以て戎に即かしむべし

孔子の論語の翻訳342回目、子路第十三の二十九でござる。

漢文
子曰、善人教民七年、亦可以即戎矣。

書き下し文
子曰わく、善人、民を教うること七年、亦(また)以て戎(じゅう)に即(つ)かしむべし。

英訳文
Confucius said, “You must educate the people for seven years before conscription.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「民衆を戦争に行かせるのならば、その前に7年間は教育を施さねばならない。」

Translated by へいはちろう

「7年教育を施せば、戦争に行かせる事ができる。」と解釈される事が多いのでござるが、次の子路第十三の三十と併せて考えれば逆説的に解釈するのが普通でござろう。

ちなみに「善人」とは普通の庶民の事で、敢えてそう述べる理由は罪を犯した者や敵国の捕虜は、名誉を挽回する意味も含めて戦場で危険な任務を負わされる事が多かったからでござる。

中国の兵法書の六韜では勇猛な部隊を作る方法を以下のように言っているでござる。勇気のある人間や力自慢を集めるだけでは駄目だという事でござるな。人材も有能な人間を集めるだけでは駄目で、普通の人間が能力を最大限に発揮できるようにするのが重要だという事でござる。

武王が太公望に尋ねました。
武王「勇士を選抜して部隊を編成するには、どうすればよいか?」

太公望「勇猛にして死を恐れず、負傷することなど何とも思わない者を編成して”冒刃の士”と名づけます。強暴で意気盛んな者を編成して”陥陣の士”と名づけます。体格が優れよく長剣を使い、集団行動に適している者を編成して”勇鋭の士”と名づけます。脚力があり、力自慢の者を編成して”勇力の士”と名づけます。足が速くて走力があり、高い城壁を飛び越え遠路を走破できる者を編成して”寇兵の士”と名づけます。権力の座を失い、それを取り戻すために功績を立てたいと願っている者を編成して”死闘の士”と名づけます。戦死した将軍の子弟で、その仇を報いたいと願っている者を編成して”死憤の士”と名づけます。貧しい境遇で発憤する者を編成して”必死の士”と名づけます。入婿や捕虜で恥辱を埋め合わせしようとする者を編成して”励鈍の士”と名づけます。衆人や罪を免れた者で恥を雪ぎたいと願っている者を編成して”幸用の士”と名づけます。抜群の才能に恵まれ、重責を担って仕事を成し遂げることができる者を編成して”待命の士”と名づけます。以上が勇士を選抜して部隊を編成する方法です。くれぐれも慎重にしなければなりません。」

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孔子の論語 子路第十三の二十八 切切偲偲怡怡如たる、士と謂うべし

孔子の論語の翻訳341回目、子路第十三の二十八でござる。

漢文
子路問曰、何如斯可謂之士矣、子曰、切切偲偲怡怡如也、可謂士矣、朋友切切偲偲、兄弟怡怡如也。

書き下し文
子路(しろ)問いて曰わく、何如(いか)なるをか斯(こ)れを士と謂(い)うべき。子曰わく、切切偲偲怡怡如(せつせつししいいじょ)たる、士と謂うべし。朋友(ほうゆう)には切切偲偲(せつせつしし)、兄弟には怡怡如(いいじょ)たり。

英訳文
Zi Lu asked, “What sort of person is called a good officer?” Confucius replied, “If he is encouraging and genial, he can be called a good officer. He encourages his friend and behaves genially toward his brothers.”

現代語訳
子路(しろ)が尋ねました。
「どの様な人物を士人と呼ぶべきでしょうか?」
孔子は、
「他者を励まし和やかに接する事ができれば、士人と呼べるだろう。友人を励まし、兄弟に和やかに接するのだ。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

子路(しろ:季路とも言う。姓は仲、名は由、字は子路。詳細は公冶長第五の七に。)

今回の言葉は子路の長所を伸ばす為におっしゃったのでござろう。情に篤く行動力のある子路は士人としての資格が十分でござるな。

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