孔子の論語 憲問第十四の三十六 直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ

孔子の論語の翻訳379回目、憲問第十四の三十六でござる。

漢文
或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳。

書き下し文
或(あ)るひとの曰わく、徳を以(もっ)て怨(うら)みに報いば、何如(いかん)。子曰わく、何を以てか徳に報いん。直(なお)きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。

英訳文
Someone asked, “How about repaying virtue to the grudge?” Confucius replied, “What will you repay to the virtue? I repay honesty to the grudge, and virtue to the virtue.”

現代語訳
ある人が尋ねました、
「人から受けた怨みに対して人徳をもって報いるのはいかがでしょう?」
孔子は、
「それでは人から受けた徳には何をもって報いるというのかね?私は怨みに対しては誠実さで報い、徳に対しては徳で報いる。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

「怨(うら)みに報ゆるに徳をもってす」は老子の第六十三章にもある言葉でござるな。ただし孔子の言う「徳」と老子の言う「徳」は別物なので注意が必要でござる。

※補足
メールにて「孔子の徳と老子の徳はどう違うのか?」というご質問を頂いたので、手短に補足説明をさせていただくでござる。

まず孔子をはじめとする儒学における徳とは、学問や教養によって身に付けたいわゆる美徳を指し、特に仁義礼智信の五つの徳を身につけ人々の手本となって教え導く事が君子の道とされているでござるな。

それに対して老子の思想における徳とは 老子の第三十八章 で「上徳は無為にして、而して以って為にする無し」と述べている通り、学問などで人為的に身につける美徳を否定し、欲望や自尊心を抑えて人間本来の素直な心を取り戻す事が老子にとっての徳でござる。

これらを踏まえたうえで老子の「怨みに報ゆるに徳を以ってす」を拙者なりに解釈すると、”そもそも「怨み」の気持ちが生じるのは必要以上に物事に執着するからであり、「徳」を備えた人間は怨みなど抱かない” という老子ならではの逆説的な表現だと考える次第でござる。第六十三章をもう一度読んでいただくと、他の言葉もほとんどこの様な逆説的な表現がされている事に気づくはずでござる。

これが孔子の立場だと「直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」となるのは、儒学の理念を考えれば自明となるでござろう。例えば自分の親が害された時に仇を討たないのは「不孝」でござる。自分の名誉が貶められた時に恥を雪がないのも一族や先祖に対する不孝でござるな。仁の心があり義の心があればこそ怨みを簡単に水に流すなどありえない事でござる。ゆえに怨みに対しては誠実さをもって正々堂々と報復をする訳でござるな。後半部分については、”礼には礼を、恩には恩を返す” という様な意味でござろう。

と言ったところではなはだ簡単ではあるものの孔子と老子の徳の説明は以上でござる。

憲問第十四の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 憲問第十四を英訳を見て下され。