孔子の論語 子張第十九の二十 是を以て君子は下流に居ることを悪む

孔子の論語の翻訳502回目、子張第十九の二十でござる。

漢文
子貢曰、紂之不善也、不如是之甚也、是以君子惡居下流、天下之惡皆歸焉。

書き下し文
子貢(しこう)が曰わく、紂(ちゅう)の不善や、是(か)くの如くこれ甚(はなは)だしからざるなり。是(ここ)を以て君子は下流に居ることを悪(にく)む。天下の悪皆な焉(こ)れに帰す。

英訳文
Zi Gong said, “In fact, emperor Zhou was not wicked as the legend. So a gentleman hates to be a low situation. Otherwise, bad reputations will concentrate upon him.”

現代語訳
子貢(しこう)が言いました、
「殷の紂王(ちゅうおう)は、実際には伝説ほどの悪人でもなかった。だから人の手本たるべき君子は少しでも悪い立場に居る事を嫌う。世界中の悪評が彼の元に集まってくるからだ。」

Translated by へいはちろう

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。詳細は公冶長第五の九に。)

殷の紂王(ちゅうおう:殷王朝最後の王。帝辛とも呼ばれる。美貌を持ち、弁舌に優れ、頭の回転が速く、力は猛獣を殺すほど強かったために、自分の能力への過信から臣下の諫言を聞き入れないようになってしまった。妲己という愛妾におぼれてからその暴虐ぶりは加速し、諫言をした家臣を惨殺するなどし、それは微子第十八の一にあるように兄弟や親族からも見放されるほどであった。そんな紂王に対する反感は周辺諸侯の間に高まりつづけ、ついに西伯昌(文王)の遺志をついだ周の武王によって討伐された。しかし甲骨文の研究からは前代まで生贄として生きた人間を神に捧げていたものを取りやめたのは紂王だったことが判明しており、史書の伝えるところとは食い違っている。)

さすが子貢と言うべきか、儒学者としては随分と大胆な発言でござるな。

しかし孔子が文王や武王を褒め称えれば褒め称えるほど、紂王が不当に貶められるのもまた事実でござろう。

一度失った信頼を取り戻すのは難しい、一度悪評が立てば消し去るのは難しい。人々はいつでも強者の転落を望んでいるものでござる。だからこそ日頃から自己を律する必要があるという事でござるな。

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