孔子の論語 八佾第三の十四 周は二代に監みて郁郁乎として文なるかな

 孔子の論語の翻訳54回目、八佾第三の十四でござる。

漢文
子曰、周監於二代、郁郁乎文哉、吾從周。

書き下し文
子曰わく、周は二代に監(かんが)みて郁郁乎(いくいくこ)として文なるかな。吾(われ)は周に従わん。

英訳文
Confucius said, “The culture of the Zhou succeeded to the culture of the Xia and the Yin. How fragrant and beautiful it is. I’d like to follow the Zhou’s.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「周の文化は夏と殷の2代の王朝のものを受け継いでいる。なんともかぐわしく華やかであろうか。私は周の文化や礼制に従おうと思う。」

Translated by へいはちろう

儒学の唱える礼とはすなわち様式でござる、孔子は度々論語内で様式よりも真心だと説いておられるが少なくとも孔子以降の数百年、いやはるか後世においても自己の修養よりも様式や体裁を整える事に主題がおかれていた時代もあったのでござる。

漢の時代に儒学が隆盛を極める前の戦国時代に、儒学よりも広く浸透していた墨子にこう書かれているでござる、

「儒者どもは、夏には穀物を乞い歩き、収穫が終わってそれができなくなると、葬礼に出かける、自分だけでなく、息子や孫までひきつれてゆき、腹一杯飲み食いする。葬礼をいくつか請け負えば、なりわいが立つ。」

墨子(ぼくし:墨子を信奉する人々を墨家と呼ぶ)とは当時儒学と激しく対立していた思想で、平等に人を愛す、博愛主義を説いた思想家集団の事でござる。自分の親ですら他者と同列に見るその思想は特に孟子などが痛烈に批判しているでござるな。老荘思想とはまた違った形で儒学に対するアンチテーゼとしてとても勉強になるでござるよ。

孔子の時代に郁郁乎(いくいくこ)としていた文化も、後の乱世においては貴族たちの退廃の象徴になってしまったと言う事でござる。

八佾第三の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの孔子の論語 八佾第三を英訳を見て下され。