孔子の論語 八佾第三の十三 罪を天に獲れば、祷る所なきなり

 孔子の論語の翻訳53回目、八佾第三の十三でござる。

漢文
王孫賈問曰、與其媚於奧、寧媚於竈、何謂、子曰、不然、獲罪於天、無所祷也。

書き下し文
王孫賈問うて曰わく、其の奧(おう)に媚(こ)びんよりは、寧(むし)ろ竈(そう)に媚びよとは、何の謂(い)いぞや。子曰わく、然(しか)らず。罪を天に獲(う)れば、祷(いの)る所なきなり。

英訳文
Wang Sun Jia asked, “A proverb says – ‘It is better to pray to the god of the kitchen than to the god of the main room.’ What does it mean? (this proverb means – ‘It is better to flatter a powerful vassal than the monarch.’) ” Confucius replied, “The proverb is wrong. If you are accused by the God of the heaven, it is no use to pray.”

現代語訳
王孫賈(おうそんか:衛の国の大臣)から、
「ことわざに “応接間の神様に祈るより、竈(かまど)の神に祈る方が良い (主君に媚びるよりも権勢の強い大臣に媚びよ)” というのがありますが、これはどういう意味でしょうか。」と尋ねられ、孔子はこう答えられました、
「そのことわざは間違っている。もし天上の神様から罪を受ければ、どの神に祈っても無駄だからである。」

Translated by へいはちろう

もちろん今回の文の主題は神様云々ではござらん、神様を例に人の道を説いているのでござる。

自らが衛の大臣である王孫賈が暗に主君をないがしろにするようなことわざの意味を尋ねたので、「利益を求めて序列を損なうような事があれば、人の道に反しますよ」と答えた訳でござる。

この様に特に序列(身分)を重んじた孔子の教えは結果として差別的との批判を受ける事が多いのでござる。しかしながら儒学では身分の高い者程、自らを厳しく律して人々の手本となるようにすべしというものがあり、孟子にいたっては「徳の無い者は天子の座から引きずり降ろされても当然(最も重要な天を敬うという事をしなかったのだから:後に易姓革命の根拠となる)」と説いており、一概に差別的と言う事は出来ないのでござる。平等とは程遠いでござるけど。

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