孔子の論語 泰伯第八の十九 大なるかな、尭の君たるや

孔子の論語の翻訳206回目、泰伯第八の十九でござる。

漢文
子曰、大哉、尭之爲君也、巍巍乎唯天爲大、唯尭則之、蕩蕩乎民無能名焉、巍巍乎其有成功也、煥乎其有文章。

書き下し文
子曰わく、大なるかな、尭(ぎょう)の君たるや。巍巍(ぎぎ)として唯(た)だ天を大なりと為す。唯だ尭(ぎょう)これに則(のっと)る。蕩々(とうとう)として民(たみ)能(よ)く名づくること無し。巍巍として其れ成功あり。煥(かん)として其れ文章(ぶんしょう)あり。

英訳文
Confucius said, “What a great sovereign emperor Yao was! He served only the heaven majestically, and only he followed the heaven at the time. His reign was so peaceful as people could not express it with any words. He achieved the majestic success, and developed brilliant culture.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「尭(ぎょう)は何と偉大な統治者であったことだろう!彼は堂々として天のみに仕え、彼の時代には彼だけが天に従っていたのだ。彼の統治はとても穏やかで人々は何と言い表して良いか解らない程であった。彼の統治は偉大な成功を治め、文明と文化を発展させたのだ。」

Translated by へいはちろう

(堯、ぎょう:中国の伝説上の聖帝、史記の五帝本紀には以下の様に記されている。)

帝堯(ていぎょう)は、放勲(ほうくん)といい、帝嚳(ていこく)の子である。仁徳は万物に行き渡り、知は神のごとしであった。また、質素な日常で九族を親しみ、人々の才能に応じて官職を与えて規制した。義氏、和氏に命じて天の理に従って日月星を数えさせて、四時の運行に則り、種まき、収穫の時を人民に授けた。義仲を郁夷に移住させ、日の出の時刻を計って春耕の次第をたてさせた。義氏の三子、義叔を南交に移住させ、夏の農耕を定めさせた。義叔は、昼の最も長い日を夏至と定めた。和氏の二子、和仲を西土に移住させ、秋の収穫のてだてを導いた。和仲は、昼と夜の長さの等しい日を秋分と定めた。和氏の三子、和叔を北方に移住させた。和叔は、昼が最も短い日を冬至を定めた。1年を366日に定め、3年に一回閏月をおいて四時を正した。 帝堯は、即位して70年たって舜を見出し、その20年後年老いて引退し、舜に天子の政を行わせ、さらに28年後崩じた。

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