論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 八佾第三の七 君子は争う所なし

 孔子の論語の翻訳47回目、八佾第三の七でござる。

漢文
子曰、君子無所爭、必也射乎、揖譲而升下、而飮、其爭也君子。

書き下し文
子曰わく、君子は争う所なし。必ずや射(しゃ)か。揖譲(ゆうじょう)して升(のぼ)り下(くだ)り、而(しこう)して飲ましむ。其の争いは君子なり。

英訳文
Confucius said, “Gentlemen don’t like conflicts. At most they have a competition of archery. At the competition, they behave politely to their competitors. And a winner treat a loser to a cup of sake. This is a manner of gentlemen’s competition.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「君子(すぐれた人格者)は争いを好まぬものだ、せいぜいが弓の腕前を競うくらいだろう。その場合でも対戦相手に対しお互いが礼儀正しく譲り合い、勝者は敗者に酒を振る舞って遺恨を後に残さない。これこそ君子の争いの作法であろう。」

Translated by へいはちろう

簡潔に言ってしまえば、スポーツマンシップというやつでござるな。人より抜きん出たいという競争心理は人間の本能の様なものでござる。それは人を成長させるのには欠かせないものなのでござるが、自らを誇るより他者を貶める方向で作用してしまうと自分も相手も結局損をするものでござる。常に相手に対して敬意を払い、事が終わってノーサイド、洋の東西に関わらず、かくありたいものでござる。

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孔子の論語 八佾第三の六 曾ち泰山を林放にも如かずと謂えるか

 孔子の論語の翻訳46回目、八佾第三の六でござる。

漢文
季氏旅於泰山、子謂冉有曰、女不能救與、對曰、不能、子曰、嗚呼、曾謂泰山不如林放乎。

書き下し文
季氏、泰山に旅す。子、冉有(ぜんゆう)に謂いて曰わく、女(なんじ)救うこと能(あた)わざるか。対(こた)えて曰わく、能わず。子曰わく、嗚呼(ああ)、曾(すなわ)ち泰山を林放(りんぽう)にも如(し)かずと謂(おも)えるか。

英訳文
Ji Sun was going to make a pilgrimage to Mt. Tai. Confucius asked Ran You, “Can you stop him?” Ran You replied, “I cannot, master.” Confucius said, “Alas! So you think that the sacred Tai mountain is inferior to Lin Fang, don’t you?”

現代語訳
魯の大臣の季孫氏(きそんし)が泰山で祭祀をしようとしていた。孔子はそれを知って冉有(ぜんゆう)に尋ねられました、
「お前は季孫氏の不遜な行い(泰山での祭祀が許されるのは主君である魯公だけ)を止めさせる事が出来るか?」
冉有は、
「出来ません。」
と答え、孔子は嘆いておっしゃいました、
「あぁ!それではお前は神聖な泰山が(礼を弁えていると言う点で)林放(りんぽう)にも劣ると思っているのか?(きっと泰山の神様はお怒りになるだろう)」

Translated by へいはちろう

季孫氏とは孔子の居た魯の国を実質的に支配していた三桓氏(孟孫・叔孫・李孫の御三家)の一つ(一人)でござる。孔子門下の高弟であった冉有は当時李孫氏に仕えていたため、冉有に主人の不遜な行いを止めさせるように頼んだのでござる。

泰山というのは当時の斉国と魯国の境にあった道教における五岳(五つの神聖な山)の中でも最も尊いとされる(五岳独尊)山で、始皇帝や他の帝王たちが封禅(新たに天子となった者が、天地を祀る天子のみが行える儀式)を行った山としても有名でござる。当然天子かその土地の諸侯でなければ通常の祭祀でさえ行うのは不遜とされるので孔子は何としても止めさせたかったのでござる。

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孔子の論語 八佾第三の五 夷狄の君有るは、諸夏の亡きが如くならず

 孔子の論語の翻訳45回目、八佾第三の五でござる。

漢文
子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也。

書き下し文
解釈1. 子曰わく、夷狄(いてき)の君有(きみあ)るは、諸夏(しょか)の亡きに如(し)かず。
解釈2. 子曰わく、夷狄の君有るは、諸夏の亡きが如くならず。

英訳文
1. Confucius said, “China without a monarch is superior to barbarians with a monarch.
2. Confucius said, “Present China seems that our monarch does not exist, even though barbarians have their monarch.”

現代語訳
1. 孔子がおっしゃいました、
「文化の進んだ中国に例え君主がいなくても、君主のいる野蛮国より優れている。」
2. 孔子がおっしゃいました、
「野蛮な国々にでさえ君主がいるというのに、今の中国には君主が存在していないかのようだ(嘆かわしいことだ)。」

Translated by へいはちろう

今回の文にも全く意味の逆な2つの解釈があるのでござる。なお上が古注(魏の何晏による注釈書)の解釈、下が新注(南宋の朱子による注釈書)の解釈でござる。上の解釈はいかにも中華思想(中国が世界の中心で周辺蛮族を支配するのは当然だと考える思想)を反映しているのでござるが、尊王攘夷を唱えた朱子が周辺諸族を肯定するかの様な解釈をしているのが不思議といえば不思議でござる。

しかし考えてみれば三国時代に生きた何晏はまさか中国が周辺諸族に支配されるなど思いもよらなかったでござろうが、朱子の南宋時代はまさに華北一帯を女真族によって支配されていた時代でござる。現実を目の前にしてこの様な解釈が出来るのは流石でござるな。

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孔子の論語 八佾第三の四 礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ

 孔子の論語の翻訳44回目、八佾第三の四でござる。

漢文
林放問禮之本、子曰、大哉問、禮與其奢也寧儉、喪與其易也寧戚。

書き下し文
林放(りんぽう)、礼の本(もと)を問う。子曰わく、大なるかな問うこと。礼は其の奢らんよりは寧(むし)ろ倹(けん)せよ。喪は其の易(そなわ)らんよりは寧ろ戚(いた)めよ。

英訳文
Lin Fang asked about a basis of courtesy and Confucius replied, “Good question. In ceremonies, it is better to be frugal than to be luxurious. In funerals, it is better to mourn heartily than to save appearances.”

現代語訳
林放が礼の基本について尋ね、孔子はこう答えられました、
「良い質問だ。儀式においては華美にするより慎ましくした方が良い。葬式などにおいては体裁を整えるよりも心から悼む方が良い。」

Translated by へいはちろう

まったくもって孔子のおっしゃる通りなのでござるが、残念ながら様式を重んじる儒学の思想とは矛盾しているでござるな。孔子は常に真心が大事と説きつつも、それを表す手段としての礼法に事細かな注文をつけたため、後世の人々は様式を守るのに精一杯になってしまったのでござる。真に心を込めても、礼法に違えば「真心が無い」と批判されるとしたら凡人にはよくせぬところでござる。この様な事は儒学に限らず現代日本でもしばしばある事でござるが、これを避ける唯一の方法は・・・「日ごろの行い」でござるかな。

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孔子の論語 八佾第三の三 人にして仁ならずんば、礼を如何せん

 孔子の論語の翻訳43回目、八佾第三の三でござる。

漢文
子曰、人而不仁、如禮何、人而不仁、如樂何。

書き下し文
子曰わく、人にして仁ならずんば、礼を如何(いかに)せん。人にして仁ならずんば、楽を如何せん。

英訳文
Confucius said, “It is no use that a person without benevolence acts politely. It is no use that a person without benevolence plays music.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「仁愛を持たぬものが礼儀正しくしたとしても無意味である。仁愛を持たぬものが音楽を奏でたとしても無意味である。」

Translated by へいはちろう

今回の文は「真心がなければ行動が儒学の教えにかなっていても意味が無い」と言う事でござるな。そして何故ここに音楽の話が出るのかと言うと、孔子は儒学の教えの実践として礼楽(礼儀と音楽)を重んじていたのでござる。古来より儀式や宗教には音楽がつき物なのでござるが、孔子ほど音楽に拘った人物もまためずらしいでござるな。

ただし元は大衆芸能だったものが時を経て伝統芸能に昇華した場合、その洗練された表現を得る代償に自由な表現を失うものでござる。儒学の思想によって縛られた漢代の音楽はどんなものだったのでござろうか?しかしキリスト教に抑圧されていた芸術が解放されて花開いたルネッサンスや長い戦乱が終わって花開いた江戸時代の文化の例もあるので、芸術の開花には冬が必要なのかも知れないでござるな。

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