孔子の論語の翻訳95回目、公冶長第五の三でござる。
漢文
子謂子賎、君子哉若人、魯無君子者、斯焉取斯。
書き下し文
子、子賎(しせん)を謂(い)わく、君子なるかな、若(かくのごと)き人。魯に君子なかりせば、斯(こ)れ焉(いず)くにか斯れを取らん。
英訳文
Confucius talked about Zi Jian, “He is a gentleman. He can be a gentleman because there are some good examples for him in the country of Lu.”
現代語訳
孔子が子賎(しせん)についておっしゃいました、
「彼は人格者だ。魯の国に彼の手本となる人物がいるから、彼は人格者となったのであろう。」
Translated by へいはちろう
子賎(しせん:姓は必、名は不斉、字は子賎。孔子の門弟の一人。呂氏春秋には子賎が単父(ぜんぽ)の長官となったとき、一日中琴を弾いて仕事をしなかったが単父はよく治まった。その後別の人が長官となり朝から晩まで仕事をして単父をよく治めた。ある時この人物が子賎に「どうして働きもしないで街を治める事ができるのですか?」と尋ねると、子賎は「私は人任せ、あなたは力任せ、力任せは疲れますが人任せは気楽です。」と答えたと書かれている。 他のエピソードとして、子賎と子蔑(しべつ)が孔子の紹介で役所の仕事についた時、孔子が二人に「仕事に就いて何か得たものと失ったものがあるか?」と問われ、子蔑は「得たものは何もありませんが、失ったものが三つ有ります。一に、仕事が忙しくて勉強する時間がありません。二に、安月給なので親戚の面倒もロクに見られません。三に、公務に振り回されて葬式や見舞にも行けませんので、交友関係が薄くなりました」と答え、子賎は「失ったものは何もありませんが、得たものが三つあります。一に、今迄は机上の学問でしたが、就職してからは実践の裏付けができて益々学問が明らかになりました。二に、月給がもらえるようになりましたので、親戚の面倒を見られるようになりました。三に、仕事の合間を見て葬式や見舞に行くようにしておりますので、忙しいのによく来てくれたと喜ばれ益々交友関係が深くなりました」と答えたという。)
今回の文は儒学の徳治思想があらわれているでござるな。人の上に立つものが人格者として振る舞い、それによって下の者たちを教化するという事でござるが、子賎が人格者であるのは彼に「人格者たらん」と思わせる様な人物がいたからだと孔子は言っているのでござる。
逆を言えば人の手本となるべき人間が人格者でなければ、人格者は育たないという事でござる。良い手本となれるかは解らないでござるが、悪い手本にだけはならない様にしたいものでござる。
公冶長第五の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの孔子の論語 公冶長第五を英訳を見て下され。