十七条憲法を翻訳 十に曰く

聖徳太子による十七条憲法の翻訳、第十条でござる。

原文
十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。我獨雖得、從衆同擧。

書き下し文
十に曰く、忿(こころのいかり)を絶(た)ち、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違(たが)うことを怒らざれ。人みな心有り。心に各(おのおの)執(と)るところ有り。彼是(ぜ)とすれば則(すなわ)ち我非とす。我是とすれば則ち彼非とす。我必ずしも聖に非(あら)ず。彼必ずしも愚に非ず。共にこれ凡夫(ぼんぷ)のみ。是非(ぜひ)の理(ことわり)、詎(なん)ぞ能(よ)く定むべけんや。相共(あいとも)に賢愚(けんぐ)なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきが如(ごと)し。ここを以(も)って、彼の人は瞋(いか)ると雖(いえど)も、還(かえっ)て我が失(あやまち)を恐れよ。我独り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。

英訳文
Keep your mind without wrath, and don’t show anger at your face. Do not get anger even if others differ from you. Everyone has his heart and opinion. His right may be your wrong, your right may be his wrong. You are not necessarily a sage. He is not necessarily a fool. All of us are mediocre people. Who can distinguish right from wrong without fail? All of us are wise and fool, like a ring has no end. Therefore if others get anger, think about your error. Even if you have a firm opinion, listen to others opinion carefully.

現代語訳
心の中の怒りを無くして顔の表情に出さないようにし、他人の意見が自分と違っても怒らないようにしなさい。人にはそれぞれの心があり、それぞれの考え方というものがあるのだ。相手が良いという事でも自分にとっては悪いという事もあり、自分が良いという事でも相手にとっては悪いという事もある。自分は決して間違いを犯さぬ聖人ではないし、相手が間違いだらけの愚者というわけでもない。お互いが平凡なただの人間なのだ。そもそも良いとか悪いとか判断する道理を、ただの人間の身でどうやって決めるというのか。お互いに賢くもあり、愚かであるという事は、耳輪に端がないようなものだ。それだから、相手が自分に対して怒っている時には、自分に過ちがなかったかどうかよく考えなさい。自分の意見に自信がある時でも、人々の意見に耳を傾けて受け入れなさい。

Translated by へいはちろう

しばらく儒学的な条文が続いた後で、今回は老荘的というか仏教的な雰囲気の条文でござるな。老荘思想における相対性の思想、あるいは大乗仏教における空の思想の影響が見受けられるでござる。

和の価値観を重んじた太子は、儒学の政治における有効性を理解しながらも排他的な部分については疑問に感じていたのでござろう。十七条全体の流れで見るとちょっと唐突な感じもするこの第十条でござるが、官吏たちに正義を行えという内容の条文が続いた後で “しかし自分の正義を振りかざすな” という条文があるというのは、実に絶妙な構成だと拙者などは感心を禁じえない所でござる。

正しい事、あるいは正義というのは多くの人の心に心地よく響くものでござるが、同時に正義感の強い人間ほど独善に陥りやすいものでござる。歴史上に悪名を残した暴君や悪人たちにも、自分なりの正義や主張はあったでござろうし、他ならぬ聖徳太子だって江戸時代の儒学者や国学者たちからは、日本に仏教という邪教を広めたとして悪人と断じられていたのでござる。仏教が邪教かどうか、聖徳太子が悪人かどうかの判断はとりあえず置くとしても、太子と太子を批判する人々のどちらが排他的かはわざわざ述べるまでも無いでござろう。

※全条文の英訳を読みたい方は聖徳太子の十七条憲法を英訳をご覧くだされ。