孔子の論語 述而第七の十四 仁を求めて仁を得たり、又た何ぞ怨みん

孔子の論語の翻訳164回目、述而第七の十四でござる。

漢文
冉有曰、夫子爲衛君乎、子貢曰、諾、吾將問之、入曰、伯夷叔齊何人也、子曰、古之賢人也、曰怨乎、曰、求仁而得仁、叉何怨乎、出曰、夫子夫爲也。

書き下し文
冉有(ぜんゆう)が曰わく、夫子(ふうし)は衛(えい)の君を為(たす)けんか。子貢(しこう)が曰わく、諾(だく)、吾(われ)将(まさ)にこれを問わんとす。入りて曰わく、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)は何人ぞや。曰わく、古 (いにしえ)の賢人なり。曰わく、怨(うらみ)たるか。曰わく、仁を求めて仁を得たり。又た何ぞ怨みん。出でて曰わく、夫子は為(たす)けじ。

英訳文
Ran You asked Zi Gong, “Is master going to help Lord of Wei?” Zi Gong replied, “Good question. I also want to know that.” Then Zi Gong entered Confucius’s room and asked, “What kind people are Bo Yi and Shu Qi?” Confucius replied, “They were ancient sages.” Zi Gong asked again, “Did they regret refusing the throne?” Confucius replied, “They aspired the benevolent and obtained it. They never regretted.” Zi Gong left the room and said to Ran You, “Master will not help Lord of Wei.”

現代語訳
冉有(ぜんゆう)が子貢(しこう)に、
「先生は衛公を助けられるでしょうか?」
と尋たので、子貢は、
「そうですね、私もそれが知りたかったところです。」
と言って孔子の部屋に入り、尋ねました、
「伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)はどんな人物でしょうか?」
孔子は、
「古代の賢人だ。」
と答えられ、子貢はさらに、
「彼らは君主の座を辞退した事を後悔したでしょうか?」
と尋ね、孔子は、
「仁を為そうとして、仁を得たのだ。どうして後悔などしようか。」
と答えられました。
子貢は満足して退出し、冉有に、
「先生は衛公を助けられないでしょう。」
と言いました。

Translated by へいはちろう

冉有(ぜんゆう:姓は冉、名は求、字は子有。孔門十哲の一人。詳細は八佾第三の六に。)

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の九に。)

伯夷・叔齊(はくい・しゅくせい:孤竹国の公子の兄弟。君位を譲り合ってついに二人とも国を去った。詳細は公冶長第五の二十三に。)

当時の衛の国は先代の霊公が亡くなった後、太子の蒯聵(かいかい)が霊公の寵姫であった南子(なんし)の暗殺に失敗して晋に亡命していたために、蒯聵の子であった輒(ちょう)が衛公となり治めていたのでござるが(出公)、蒯聵はこれを認めず帰国して自分が衛公になろうとしたのでござる。

その際に孔子がどちらの味方をするか弟子たちは気をもんだのでござるが、子貢は伯夷・叔斉を例に孔子の考えを知ろうとしたのでござる。結局孔子はどちらの味方もされなかったのでござるが、しかしよくよく考えてみれば子貢がこの二人を例に出す時点で確信的に聞いたとしか思えないでござるな。

このお家騒動は蒯聵が勝利して衛公となって終結するのでござるが(荘公)、当時衛の街の代官を務めていた孔子の弟子の子路が巻き込まれて死亡しているでござる。

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