孔子の論語の翻訳358回目、憲問第十四の十五でござる。
漢文
子曰、臧武仲以防求爲後於魯、雖曰不要君、吾不信也。
書き下し文
子曰わく、臧武仲(ぞうぶちゅう)、防(ぼう)を以(もっ)て魯に後(のち)たらんことを求む。君を要せずと雖(いえど)も、吾(われ)は信ぜざるなり。
英訳文
Confucius said, “Zang Wu Zhong asked the lord of Lu that his family succeeds the ownership of Fang. They say he did not compel. But I don’t think so.”
現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「(魯から斉に亡命する時に)臧武仲(ぞうぶちゅう)は魯公に対して防の地を彼の一族が引き続いて領有できるように頼んだ。強要したのでは無いと言われているが、私はそうは思わない。」
Translated by へいはちろう
臧武仲(ぞうぶちゅう:姓は臧孫、名は紇。孔子の父親の時代の魯の司寇。知者として知られ臧武仲が防の地で斉の軍に包囲された時に孔子の父親の叔梁紇によって助け出された因縁がある。名前も父と同じ紇であり、役職は孔子と同じ司寇である。おそらく若いときの孔子はこの因縁深い先輩をおおいに意識していたのではないかと推測される。)
臧武仲はこれまた孔子と同じで魯の御三家の一つである季孫氏に寵愛されていたのでござるが、孟孫氏には嫌われていたのでござる。孟孫氏は季孫氏と臧武仲の仲を裂こうと諮って、季孫氏に対して臧武仲が謀反をたくらんでいると忠告したのでござる。まんまと孟孫氏の策略にはまった季孫氏は臧武仲を攻撃したため、臧武仲をやむを得ず魯国を去る事になり、その時に代々に渡って統治して来た防の地を彼の兄に継がせて欲しいと魯公に頼んだ。というのが今回の話でござるな。
上述の通り防の地は臧孫氏が代々に渡って統治して来た土地で彼の影響力は非常に大きいはずでござる。臧武仲は斉に亡命するのでござるが。もし魯公が臧武仲の要求をこばんだら、最悪の場合に斉の軍と強力して国境の要衝である防の地を奪われる可能性があるので、魯公としては臧武仲の要求を呑まざるを得なかったといのが実情でござろう。
逆に言えばそれだけ臧武仲が有能であったという事でござるな。中国のことわざに「主を震わす者身危うく、功天下を蓋う者賞されず。」というのがあるのでござるが、有能すぎる家臣は凡庸な君主にとっては敵よりも恐ろしい存在なのでござる。
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