孔子の論語の翻訳124回目、雍也第六の四でござる。
漢文
子華使於齊、冉子爲其母請粟、子曰、與之釜、請益、曰與之庾、冉子與之粟五秉、子曰、赤之適齊也、乘肥馬、衣輕裘、吾聞之也、君子周急不繼富。
書き下し文
子華(しか)、斉(せい)に使いす。冉子(ぜんし)、其の母の為(た)めに粟(ぞく)を請(こ)う。子曰わく、これに釜(ふ)を与えよ。益(えき)さんことを請う。曰わく、これに庾(ゆ)を与えよ。冉子、これに五秉(へい)を与う。子曰わく、赤(せき)の斉に適(ゆ)くや、肥馬(ひば)に乗りて軽裘(けいきゅう)を衣(き)たり。吾これを聞く、君子 は急を周(すく)うて富めるに継がずと。
英訳文
Zi Hua had gone on a mission to Qi. Ran Zi requested a pension for Zi Hua’s mother. Confucius replied, “Give her 10kg rice.” Ran Zi demanded an increase. Confucius replied, “Then, give her 100kg rice.” But Ran Zi gave her 1t rice.” Confucius said, “At the time of departure, Zi Hua rode on a good horse and wore luxurious clothes. They say – ‘Gentlemen support the poor not the rich.'”
現代語訳
子華(しか)が孔子の用事で斉に使いに行きました。
冉子(ぜんし)が子華の母親の生活費を出して欲しいと孔子に頼まれ、孔子は、
「米を10kgあげなさい。」
とおっしゃいました。冉子は増量を求められ、孔子は、
「ならば米を100kgあげなさい。」
とおっしゃいました。しかし冉子は米1tを子華の母親に与えられました。
孔子はこれを知って、
「子華は肥えた馬に乗り、豪華な衣服を着て斉にでかけた。貧しい者に施しするならともかく金持ちに施しをするなど聞いた事も無い。」
とおっしゃいました。
Translated by へいはちろう
子華(しか:姓は公西、名は赤、字は子華。孔子の弟子の一人。裕福な家柄の出身)
冉子(ぜんし:姓は冉、名は求、字は子有。孔門十哲の一人。詳細は八佾第三の六に。)
さて何やら現代日本の微妙な問題に関わって来そうな今回の文章、気分を害される御仁が居らねば良いのでござるが。
ご存知の通り儒学において両親を大切にし年長者を敬うのは基本中の基本でござる。そこで冉求は当たり前の様に同門の弟子の母親のために米を贈るのでござるが、孔子は裕福な老母に施しは必要無いと諭すのでござる。
為政第二の七で孔子は
「最近は両親を物質的に満たす事を孝と言うが、敬意を伴わなければ家畜に対するのと変わらない。」
とおっしゃっているでござる。
つまり孝の要点は物質の多寡では無く、敬意の在り様なのでござる。もし冉求が米を贈るのでは無く、子華の母親を訪ねて老母の寂しさを慰めていたら、孔子は冉求を褒めたのでは無いかと拙者は思う次第。
雍也第六の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 雍也第六を英訳を見て下され。