孔子の論語 雍也第六の九 如し我を復する者あらば、則ち吾は必ず汶の上に在あらん

孔子の論語の翻訳129回目、雍也第六の九でござる。

漢文
季氏使閔子騫爲費宰、閔子騫曰、善爲我辭焉、如有復我者、則吾必在汶上矣。

書き下し文
季氏(きし)、閔子騫(びんしけん)をして費(ひ)の宰(さい)たらしむ。閔子騫が曰わく、善く我が為に辞せよ。如(も)し我を復(また)する者あらば、則ち吾は必ず汶(ぶん)の上(ほとり)に在あらん。

英訳文
Ji Shi send a messenger to appoint Min Zi Qian as a magistrate of Fei. Ming Zi Qian said to the messenger, “I’m sorry, but I shall reject the offer. If the minister insists again, I have to move to River Wen.”

現代語訳
魯の大臣である季氏(きし)が閔子騫(びんしけん)を費(ひ)の長官に任命しようとして使者を送ってきた。閔子騫は使者に、
「申し訳ありませんが辞退させていただきます。もし大臣がさらに求められるようならば、私は斉との国境の汶(ぶん)の川沿いに引っ越します。」
と答えました。

Translated by へいはちろう

季氏(きし:魯の大夫。)

閔子騫(びんしけん:姓は閔、名は損、字は子騫。孔門十哲の一人。幼い時に実母を亡くし、父が再婚して継母との間に二人の子が出来た。継母は実子二人を愛し閔子騫を憎んで、自分の子には冬には綿入りの着物を与えたが、閔子騫 には蘆の穂を入れた着物を与えた。閔子騫が寒さに凍えているのを見て、父が継母と離縁しようと言うと閔子騫は「母上が去られては、三人の子供は凍えます。 私一人が凍えていれば、弟二人は暖かいのでどうか離縁しないで下さい」と言った。継母はこれに感激し、以後は実母の様に閔子騫を可愛がったという。先進第十一で孔子に孝行者として賞賛されている。現在の中国の山東省沂水県に閔公山というのがあり、閔子騫が登用を避けるために逃げた場所として伝えられている。)

顔回らとともにに徳行を持って孔子に讃えられる閔子騫でござるが、やはり顔回と同じく実社会へ適応し出世の道を行くよりは学問の道を突き進むタイプなのでござろうか。しかし引越しまでするとは極端でござるな。

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