孔子の論語 八佾第三の二十六 礼を為して敬せず、吾何を以てかこれを観んや

孔子の論語の翻訳66回目、八佾第三の二十六でござる。

漢文
子曰、居上不寛、爲禮不敬、臨喪不哀、吾何以觀之哉。

書き下し文
子曰わく、上(かみ)に居て寛(かん)ならず、礼を為(な)して敬せず、喪に臨(のぞ)みて哀しまずんば、吾(われ)何を以(もっ)てかこれを観んや。

英訳文
Confucius said, “A leader who has no tolerance, a polite person who has no respect, and a person attending the funeral who has no mourning. They are totally meaningless.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「人の上に立ちながら寛容さが無い者、礼儀正しくありながら人に対する敬意を持たぬ者、葬儀に参列しながら弔意(哀しみ悼む気持ち)を持たぬ者。これらの様な人間から美点は少しも見出せない。」

Translated by へいはちろう

さて八佾第三の最後の文でござるが、ここでも真心の大切さを説いているでござるな。儒学において人が大切にするべき徳目は五常の徳と呼ばれ、それぞれ

他者に対する真心、惻隠の心(同情心)

正しい行いを守る心、羞悪の心(悪を羞じる気持ち)

他者に敬意を払う心と社会の秩序に従う心

善と悪を判断する知恵

自分を偽らないこと

この内孔子が唱えたのは仁と礼でござる。その後孟子が仁義礼智を唱え、漢代に入って信を加えて五常となったのでござる。これに、

父母によく仕える事

目上の者によく仕える事

主君に対してよく仕える事

などを加えた八つの徳は滝沢馬琴の南総里見八犬伝などでもお馴染みでござるな。なお日本では朱子学伝来以降、忠を孝の上に置く事が多いでござる。

しかしながら時代や地域によって何を重要と見るかは多種多様であり、聖徳太子の官位十二階では徳・仁・礼・信・義・智(日本書紀)の順番でござる。

ご自分なりに順番を考えてみるのも良いでござるな、ともあれ八佾第三は終わり明日からは里仁第四の翻訳に入るでござる。

八佾第三の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの孔子の論語 八佾第三を英訳を見て下され。