孔子の論語 憲問第十四の七 君子にして不仁なる者あらんか、未だ小人にして仁なる者あらざるなり

孔子の論語の翻訳350回目、憲問第十四の七でござる。

漢文
子曰、君子而不仁者有矣夫、未有小人而仁者也。

書き下し文
子曰わく、君子にして不仁なる者あらんか。未だ小人にして仁なる者あらざるなり。

英訳文
Confucius said, “There may be some gentlemen who are not benevolent. But there are not any worthless men who are benevolent.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「仁者とは別の形の人格者というのはいるかも知れない。しかし仁者でありながらつまらない人間というのは一人もいない。」

Translated by へいはちろう

君子とは人の上に立ち、人の手本となって指導する責任を負わされた階層の人々の事でござる。当時の士大夫階級や爵位を持った貴族、広義では富裕層や知識階級も含む一般庶民と対になる人々の事でござるな。英語でいうところのGentleman には noble obligation (高貴なる者の義務:仏語でnoblesse obligeとも言う)と言うのがあって、労働者階級とは違う責任を負うというのがあるのでござるが、孔子が君子に求めていたのもこれと同じでござる。儒学の根本的思想はこれら君子が礼楽を学んで正しく行動する事によって、広く一般民衆までも教化して社会を安定的に保つ事にあるのでござる。

つまり君子は仁者であろうとすべきであるが、君子が全員仁者であるとは限らないのでござる。雍也第六の七で顔回の事を「3ヶ月も、仁と違わない」と褒めているように、仁者とは孔子自身も含めて生きている人間には到達できないある種の境地のようなものでござろう。

また述而第七の二十九で「仁を求めればすぐ手に入るのが仁」とおっしゃっている様に、「仁者たろうとする心を持つものが仁者である。」と解釈する事もできるでござるな。

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