孔子の論語 顔淵第十二の十 既に其の生を欲して、又た其の死を欲するは、是惑いなり

孔子の論語の翻訳299回目、顔淵第十二の十でござる。

漢文
子張問崇徳辨惑、子曰、主忠信徒義、崇徳也、愛之欲其生、惡之欲其死、既欲其生、叉欲其死、是惑也、誠不以富、亦祇以異。

書き下し文
子張(しちょう)、徳を崇(たか)くし惑(まど)いを弁(べん)ぜんことを問う。子曰わく、忠信(ちゅうしん)を主として義に徒(うつ)るは、徳を崇くするなり。これを愛しては其(そ)の生を欲し、これを悪(にく)みては其の死を欲す。既に其の生を欲して、又(ま)た其の死を欲するは、是(これ)惑いなり。

英訳文
Zi Zang asked how to improve one’s virtue and how to clear puzzlement away. Confucius replied, “If you value sincerity and honesty, then you act rightly, you can improve your virtue. They want him to live when they love him, they want him to die when they hate him. If you want the same person to live or to die according to the time and circumstances, that is exactly puzzlement.”

現代語訳
子張(しちょう)が徳を高めて惑いを断ち切るにはどうしたら良いか尋ねました。孔子は、
「真心と誠実さに重きをおいて正しく行動すれば徳を高めることができる。人は愛する人の生を望み、憎い人間の死を望むのが普通だ。それなのに同じ人間の生を願ったり死を願ったりする、この心の動きこそが惑いなのだ。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

子張(しちょう:姓は顓孫、名は師、字は子張。詳細は公冶長第五の十九に。)

人間の感情の不整合性というか中々に考えさせられるお言葉でござるな。人間同士であれば例えそれが家族であろうと互いの自我がぶつかり合うものでござる。

孔子は幼いころに父親をなくし、青年になる前に母親をなくして、思春期を義母と異母兄妹と過ごして、成人後は家長として彼らの面倒もみていたらしいのでござる。

きっと時には義母と異母兄妹を憎んだこともあったのでござろう、でなければこういった人間感情の不可思議さについてこうも見事な答えをするはずがござらん。

そう考えると儒学でいうところの「孝」というものが、すごく奥深いものに思えてくるでござる。

「子は親を尊敬し孝行するのがあたりまえだ。」というシンプルな考えも親子や家族の仲がうまく行っている時は大変よろしいが、大人になったあとにでさえ家族が対立することがしばしばある事を思えば、よくよく考えてみたいところでござる。

顔淵第十二の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 顔淵第十二を英訳を見て下され。