孔子の論語 顔淵第十二の八 文は猶お質のごときなり、質は猶お文のごときなり

孔子の論語の翻訳297回目、顔淵第十二の八でござる。

漢文
棘子成曰、君子質而已矣、何以文爲矣、子貢曰、惜乎夫子之説君子也、駟不及舌、文猶質也、質猶文也、虎豹之鞟、猶犬羊之鞟也。

書き下し文
棘子成(きょくしせい)が曰わく、君子は質のみ。何ぞ文を以て為さん。子貢(しこう)が曰わく、惜しいかな、夫(か)の子の君子を説(と)くや。駟(し)も舌に及ばず。文は猶(な)お質のごときなり、質は猶お文のごときなり。虎豹(こひょう)の鞟(かく)は猶お犬羊(けんよう)の鞟のごときなり。

英訳文
Ji Zi Cheng said, “A gentleman should value only his nature. An education does not always have to be valued.” Zi Gong heard this and said, “It’s a pity that he thinks so. He cannot withdraw his words. An education is related to his nature and his nature is related to an education. If you pull hairs out from tiger furs, it is like dog leather.”

現代語訳
棘子成(きょくしせい)が言いました。
「人格者というものは自らの本質を大切にすべきだ。わざわざ教養を身に付ける必要などない。」
これを聞いた子貢(しこう)が言いました。
「残念だがあの人の意見は間違っている、四頭だての馬車を走らせても失言を取り消すことはできないというのに。教養は人間性に深く関係し、人間性は教養と密接に関係している。虎や豹の毛皮から毛を抜いてしまったら、犬や羊のなめし革と見分けがつかないじゃないか。」

Translated by へいはちろう

棘子成(きょくしせい:衛の大夫。)

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。詳細は公冶長第五の九に。)

後に人間の本質を善だとした孟子も悪だとした荀子も、人々に教育を施すことによって人間が完成するという考えは同じで、これは儒学の根幹を成す考え方でござるな。

それに反して老子などは善の概念も悪の概念も人間の知恵が生み出すものであって、人間の本質にも自然の摂理にも本来善悪は存在せず、人々に教育を施して善人をつくればつくるほどに悪人が増える悪循環を生み出すと説いているでござる。

西洋哲学においても善悪相反の二元論について論じたグノーシス主義などがあって、アジア哲学との比較をすると面白いかも知れないでござる。

しかし「駟も舌に及ばず。」とは、能弁で知られた子貢が言うとなんとも言えない説得力があるでござるな。拙者もひとごとだと笑えないでござるよ。

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