孔子の論語 公冶長第五の十七 晏平仲、善く人と交わる、久しくしてこれを敬す

孔子の論語の翻訳109回目、公冶長第五の十七でござる。

漢文
子曰、晏平仲善與人交、久而人敬之。

書き下し文
子曰わく、晏平仲(あんぺいちゅう)、善く人と交わる。久しくしてこれを敬す。

英訳文
Confucius said, “Yan Ping Zhong knew how to associate with people very well. He also behaved respectfully toward his old friends as well.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「晏平仲(あんぺいちゅう)は人付き合いの要領を心得ていた。長い付き合いの友人に対しても敬意を払ったのだから。」

Translated by へいはちろう

晏平仲(あんぺいちゅう:斉の名臣「晏嬰(あんえい)」の事。姓は晏、名は嬰、字は仲、平は諡(おくりな)。晏子(あんし)とも呼ばれ、言行録である晏子春秋が死後に編纂される。斉の管仲と共に春秋時代の代表的な名宰相の一人。史記の作者である司馬遷は「晏嬰の時代に生まれていたら彼の御者になりたい」とまで言って尊敬している。)

さて後世の人々に晏子(あんし)と呼ばれて尊敬される晏嬰でござるが、この人物は孔子の人生に大きな影響を与えた人物の一人でござる。

孔子が理想を叶えんと大国である斉を訪れて景公に仕官しようとした時の事でござる。景公が孔子に政治について尋ねると孔子は「君は君、臣は臣、父は父、子は子としての道をそれぞれ尽くすことが政治の肝要でございます。そして財政に於いてはひたすら倹約に努めなければなりません。」と答え、景公はすっかり感心して孔子に領地を与えて大夫として召抱えようとしたのでござる。しかし晏嬰は景公を諌めて以下の様に言ったそうでござる。

「儒者は滑稽多弁ですから、 そのことばを手本としてはなりません。傲慢不遜で自分の思いのままにふるまうので、低い身分に置くこともなりません。周の王室はすでに衰微し、礼楽も残欠して、久しい年月を経ました。しかるに今、孔子は容儀修飾を盛大にし、登降の礼儀や歩行の節度を煩雑にしています。 これを採用するのは、微賤な細民を救済する急務ではありません」

そして結局景公は孔子を召抱える事をやめたのでござる。当時の斉は晏嬰によって倹約政策が行われていたのでござるが、そこで倹約を説いた孔子の言葉と学説の矛盾を指摘したのでござる。儒学者たちが葬礼を豪華にして国の財産を浪費している事は墨子にも批判されているでござるな。但し晏嬰は孔子個人に対しては敬意を払っており、孔子の政策に対して異論を述べたのでござる。

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