聖徳太子による十七条憲法の翻訳、第二条でござる。
原文
二曰、篤敬三寶。々々者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之極宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤惡。能敎従之。其不歸三寶、何以直枉。
書き下し文
二に曰く、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは仏と法と僧なり。則(すなわ)ち四生(ししょう)の終帰(よりどころ)、万国(ばんごく)の極宗(ごくしゅう)なり。何(いず)れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。人尤(はなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すく)なし、能(よ)く教うれば従う。それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。
英訳文
Be respectful to the three treasures sincerely. The three treasures, Buddha, the teachings of Buddha and priests, are the final refuge for all life, and are the ultimate doctrine in all countries. What person of what world can fail to respect the doctrine? Few people are awfully bad. If you guide them rightly, they will follow you. But if you guide them without the three treasures, how can you correct their badness?
現代語訳
三つの宝を敬いなさい。三つの宝とは仏と仏の教えと僧侶である。これらはこの世に生きる全ての命の最後のよりどころであり、全ての国における究極の規範である。どんな世の中のどんな人であれ仏の教えを尊ばない者があるだろうか。どうしようもない悪人というのは少ないものだから、彼らを正しく教え導けば正道に従うようになる。教え導くにあたってこの三つの宝をよりどころとするのでなければ、一体どんな教えをもって捻じ曲がった人の心を正せば良いのか。
Translated by へいはちろう
仏教を信奉せよという事でござるな。聖徳太子は争いのない、天皇を中心とした中央集権国家をつくるにあたって仏教の権威を利用したのでござろう。”利用した” というと何やら悪いことのように思われるかも知れないでござるが、十七条憲法にしろその他の法にしろその有効性を担保する権威は必須でござる。前回もいったとおり、当時は天皇の権威がまだそれほど強くなく、ただ憲法を制定したというだけでは心からそれに従うものは少なかったでござろう。そこで大陸から伝わったきらびやかな仏像や寺院によって人々にこれまでの日本には無かった時代の到来を予感させ、その教えをもって新しい日本をつくることの正当性を担保しようとしたのでござるな。仏教の普遍性がことさらに強調されているのは、「このままでは日本だけが世界から取り残されてしまう」というような太子の危機感が表れたものではないでござろうか。
また当時の東アジアにおける仏教の主流であった涅槃経の影響が強く見られるでござるな。涅槃経の主な教義には “三宝一体常住不変(仏は仏の教えと僧侶と常に一体であり不変である)” や “一切衆生悉有仏性(全ての生き物は仏の性質を備えている)” というものがあり、これらの教えが第二条の内容に反映されている事は間違いないでござろう。特に「人尤だ悪しきもの鮮なし、能く教うれば従う」という部分は、儒学における性善説や性悪説よりも涅槃経の影響が大きいように思えるでござる。
※全条文の英訳を読みたい方は聖徳太子の十七条憲法を英訳をご覧くだされ。