月別アーカイブ: 2009年3月

孔子の論語 陽貨第十七の四 鷄を割くに焉んぞ牛刀を用いん

孔子の論語の翻訳449回目、陽貨第十七の四でござる。

漢文
子之武城、聞絃歌之聲、夫子莞爾而笑曰、割鷄焉用牛刀、子游對曰、昔者偃也、聞諸夫子、曰、君子學則愛人、小人學道則易使也、子曰、二三子、偃之言是也、前言戲之耳。

書き下し文
子、武城(ぶじょう)に之(ゆ)きて絃歌(げんか)の声を聞く。夫子(ふうし)莞爾(かんじ)として笑いて曰わく、鷄を割(さ)くに焉(いずく)んぞ牛刀(ぎゅうとう)を用いん。子游(しゆう)対(こた)えて曰わく、昔者(むかし)偃(えん)や諸(こ)れを夫子に聞けり、曰わく、君子道を学べば則(すなわ)ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易しと。子の曰わく、二三子(にさんし)よ、偃の言(げん)是(ぜ)なり。前言はこれに戯(たわむ)れしのみ。

英訳文
Confucius and his disciples went to Wu Cheng. They heard a singing voice and sounds of the strings. Confucius smiled and said, “It is not necessary to use a butcher knife to cut chicken.” Zi You said, “Master, you said before, ‘With learning (courtesy and music), a gentleman becomes loving people, and even a worthless man becomes easy to deal.'” Confucius said, “Everyone, he is right. I’m just kidding.”

現代語訳
孔子と弟子達が武城(ぶじょう)の街を訪れた時、琴の音にあわせて歌声が聞こえて来た。
孔子はにっこりと笑って、
「鶏をさばくのに牛刀を用いる必要は無いだろう。(こんな小さな街に礼楽とは大げさな)」
とおっしゃいました。すると武城の長官を務めている子游(しゆう)が、
「以前先生から、”礼楽を学ぶ事によって、人格者は人を愛するようになり、つまらぬ人間でさえ扱いが楽になる。” と聞いた事があります。」
と言いました。孔子は、
「お前達、子游の言葉は正しい(人は皆、礼楽を学ぶべきだ)。先の言葉は冗談だよ。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

子游(しゆう:姓は言、名は偃、字は子游。詳細は雍也第六の十四に。)

子游は孔子に褒めてもらえると思ったのに、大げさと言われて思わず言い返してしまったという事でござろうか。

ちなみに「鷄を割くに焉んぞ牛刀を用いん。」は小さな事に対して大げさな事をするという意味の言葉でござるが、英語では「(taking) a sledgehammer to crack a nut (くるみを割るのにスレッジハンマーを使う)」と言うそうでござる。スレッジハンマーとはコンクリートなどを砕く巨大なハンマーの事でござるが、イメージが豪快すぎたので採用しなかったでござる。

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孔子の論語 陽貨第十七の三 唯上知と下愚とは移らず

孔子の論語の翻訳448回目、陽貨第十七の三でござる。

漢文
子曰、唯上知與下愚不移。

書き下し文
子曰わく、唯(ただ)上知(じょうち)と下愚(げぐ)とは移らず。

英訳文
Confucius said, “The greatest wise and the lowest fool never change.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「本当に賢い人間と本当に愚かな人間だけは変わる事がない。」

Translated by へいはちろう

前回の「学習によって人間は変わる」を受けての言葉でござるな。

なんとなく前回と矛盾するかと思われるかも知れないが、以下のような解釈はどうでござろう?

本当に賢い人間から学ぶ事を取り上げる事などできない。また本当に愚かな人間に学ばせる事などできない。

いやあくまで解釈であって、拙者の意見ではないのであしからず。学ぶ事を快楽だと思っている拙者は愚者のように学ぶのみでござる。

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孔子の論語 陽貨第十七の二 性相い近し、習えば相い遠し

孔子の論語の翻訳447回目、陽貨第十七の二でござる。

漢文
子曰、性相近也、習相遠也。

書き下し文
子曰わく、性、相(あ)い近し。習えば、相い遠し。

英訳文
Confucius said, “People are born having the same nature. After they learned, they vary one another.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「人は皆同じような性質を持って生まれてくるが、学習によって様々な人格に変化する。」

Translated by へいはちろう

孔子の固い信念でござるな。学問が人間を造るという事でござる。

ちなみに教育ではなく学習と訳したのはなんとなく自主性を重んじる雰囲気を出したかったからでござる。躾と訳している本もあるのでござるが、それだと子供にしか通用しないイメージでござるよな。大人だって絶えずに成長せねばならぬのでござる。

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孔子の論語 陽貨第十七の一 陽貨、孔子を見んと欲す

孔子の論語の翻訳446回目、陽貨第十七の一でござる。

漢文
陽貨欲見孔子、孔子不見、歸孔子豚、孔子時其亡也、而往拝之、遇諸塗、謂孔子曰、來、予與爾言、曰、懷其寳而迷其邦、可謂仁乎、曰、不可、好從事而亟失時、可謂知乎、曰、不可、日月逝矣、歳不我與、孔子曰、諾、吾將仕矣。

書き下し文
陽貨(ようか)、孔子を見んと欲す。孔子見(まみ)えず。孔子に豚(いのこ)を帰(おく)る。孔子其の亡(な)きを時として往(い)きてこれを拝(はい)す。塗(みち)に遇(あ) う。孔子に謂(い)いて曰わく、来たれ。予(わ)れ爾(なんじ)と言わん。曰わく、其の宝を懐(いだ)きて其の邦(くに)を迷わす、仁と謂うべきか。曰わく、不可なり。事に従うを好みて亟々(しばしば)時を失う、知と謂うべきか。曰わく、不可なり。日月逝(ゆ)く、歳(とし)我と与(とも)ならず。孔子の曰わく、諾(だく)。吾(われ)将(まさ)に仕えんとす。

英訳文
Yang Huo wanted to meet Confucius. Confucius didn’t meet him. Then Yang Huo sent Confucius a pig. Confucius went to Yang Huo’s house to express his gratitude when Yang Huo was not at his home. But Confucius ran across Yang Huo on the way. Yang Huo said, “Say, I want to talk with you. You don’t try to save this country even though you know how to save it. Is this benevolent?” Confucius replied, “No, it isn’t.” Yang Huo said, “You are losing your opportunity even though you want to engage in politics. Is this wisdom?” Confucius replied, “No, it isn’t.” Yang Huo said, “Time flies like an arrow.” Confucius said, “I see. I will serve you before long.”

現代語訳
陽貨(ようか)が孔子に会いたがっていたが、孔子はお会いになられなかった。そこで陽貨は孔子に豚を贈った(孔子が返礼にやって来た時に会おうとした)。孔子は陽貨の留守を見計らって返礼に赴いたが道の途中で陽貨に出会ってしまった。
陽貨が、
「ようやくあなたと話ができる。この乱れた国を救う宝玉のような知恵を持ちながら見過ごしている。それが仁と言えましょうか?」
と問うと、孔子は、
「いいえ、仁とは言えません。」
と答えられました。さらに陽貨が、
「日頃より政治に携わりたいと考えながらその機会を見過ごしている。それで知者と言えましょうか?」
と問うと、孔子は、
「いいえ、知者とは言えません。」
と答えられました。さらに陽貨が、
「日々は過ぎて行き、年月も待ってはくれませんよ。」
と言うと、孔子は、
「解りました。いずれあなたにお仕えしましょう。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

陽貨(ようか:陽虎とも呼ぶ。元々は魯の実質上の権力者の三桓氏の筆頭である季孫氏の家宰をしていたが、その季孫氏の実権を握る事によって次第に三桓氏をしのぐ政治権力を持つようになる。三桓氏の権力を一気に奪おうと費の街の長官である公山不擾と共にクーデターを起こすが敗れて亡命した。孔子と陽貨は容貌が似ており、子罕第九の五で孔子は陽貨と見間違われて危害にあっている。)

儒学的には悪役の陽貨でござるが、なかなか一世の傑物だけの物言いをするものでござる。

結局孔子はクーデターの失敗もあって陽貨に仕える事はなかったのでござるが、陽貨第十七の五で陽貨と一緒にクーデターを起こした公山不擾に招かれた時には乗り気なそぶりを見せているでござる。

この時期の孔子は魯公をないがしろにする三桓氏を排除するためには武力の行使もやむを得ないのではないかと、葛藤していたのではないでござろうか。

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孔子の論語 季子第十六の十四 邦君の妻、君これを称して夫人と曰う

孔子の論語の翻訳445回目、季子第十六の十四でござる。

漢文
邦君之妻、君称之曰夫人、夫人自称曰小童、邦人称之曰君夫人、称諸異邦曰寡小君、異邦人称之亦曰君夫人也。

書き下し文
邦君(ほうくん)の妻、君これを称して夫人(ふじん)と曰う。夫人自ら称して小童(しょうどう)と曰う。邦人これを称して君夫人(くんふじん)と曰う。異邦(いほう)に称して寡小君(かしょうくん)と曰う。異邦の人これを称して亦(また)君夫人と曰う。

英訳文
The lord of a country calls his wife ‘fu ren:my lady’. She calls herself ‘xiao tong:Your/His humble servant’. The people of the country call her ‘jun fu ren:the lord’s lady’. They call her ‘gua xiao jun:the lord’s modest lady’ to foreign people. Foreign people call her ‘jun fu ren:the lord’s lady’.

現代語訳
君主の妻を君主は夫人(ふじん)と呼ぶ。彼女は自分の事は小童(しょうどう)と呼ぶ。領民は彼女を君夫人(くんふじん)と呼ぶ。異国の人々に対しては寡小君(かしょうくん)と呼ぶ。異国の人々も君夫人と呼ぶ。

Translated by へいはちろう

なぜ論語に収録されているのか不思議な一節でござるが、とにかく英訳に難儀したでござる。

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