孔子の論語 顔淵第十二の二十 質直にして義を好み、言を察して色を観、慮って以て人に下る

孔子の論語の翻訳309回目、顔淵第十二の二十でござる。

漢文
子張問、士何如斯可謂之達矣、子曰、何哉、爾所謂達者、子張對曰、在邦必聞、子曰、是聞也、非達也、夫達者、質直而好義、察言而觀色、慮以下人、在邦必達、在家必達、夫聞者色取仁而行違、居之不疑、在邦必聞、在家必聞。

書き下し文
子張(しちょう)問う、士(し)何如(いか)なれば斯(こ)れを達(たつ)と謂うべき。子曰わく、何ぞや、爾(なんじ)の所謂(いわゆる)達とは。子張対(こた)えて曰わく、邦(くに)に 在(あ)りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。子曰わく、是(これ)聞(ぶん)なり、達に非(あら)ざるなり。夫(そ)れ達なる者は、質直(しつちょく)にして義を好み、言(げん)を察して色を観、慮(はか)って以て人に下る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。夫れ聞なる者は、色に仁を取りて行いは違(たが)い、これに居りて疑わず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。

英訳文
Zi Zhang asked, “What sort of person is called ‘a master’?” Confucius said, “How do you think?” Zi Zhang replied, “I think a master must have a good reputation both in his country and in his hometown.” Confucius said, “Such a person is not a master. He is just popular. I think a master must be honest, value justice, listen to others carefully, read others’ faces and be humble. He must do so both in his country and in his hometown. A person who is just popular looks benevolent. But his deeds differ from benevolence. He does not suspect his inconsistency. He just has a good reputation both in his country and in his hometown.”

現代語訳
子張(しちょう)が尋ねました、
「士人たるもの、どのようであれば “達した” と言えるでしょうか?」
孔子が、
「お前はどう思うかね?」
と聞くと、子張は、
「国政に携われば評判を得て、地元に帰っても評判を得る。そんな人物を “達した” と思います。」
と答えました。しかし孔子は、
「そんなものでは “達した” とは言えない、ただ人気者なだけだ。そもそも “達した” 人物とは実直にして正義を重んじ、人の言葉を注意深く聞いて表情をよく読み、遠慮してへりくだった態度でいるものだ。国政に携わってもこの態度で望み、地元に帰ってもこの態度を貫く。それに比べて人気者なだけの人物とは、うわべだけ仁徳があるように見せかけて、その行動は仁徳とは違う。そんな自分に矛盾すら感じない。しかし人気取りが上手いので国政に携われば評判を得て、地元に帰っても評判を得てしまうのだ。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

子張(しちょう:姓は顓孫、名は師、字は子張。詳細は公冶長第五の十九に。)

人を評判だけで評価してはいけないという事でござるな。特に政治家や芸術家というのは生前の評価よりも死後の評価の方が重要だったりするものでござる。

ただ結局のところ現在生きている人間を客観的に判断するには評判に頼るしかないのが現実で、それは漢の時代の官吏登用における郷挙里選制に色濃く表れているでござる。その後は九品官人法を経て科挙(つまり儒学的評判から儒学的知識を重んじるようになった)で人を評価するようになるのでござるが、これはこれで問題があるのは致し方のない事でござる。

人間が人間を評価するのに完璧な方法などは無いと拙者は思う次第。

顔淵第十二の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 顔淵第十二を英訳を見て下され。