孔子の論語 顔淵第十二の十三 訟を聴くは、吾猶お人のごときなり。必ずや訟え無からしめんか

孔子の論語の翻訳302回目、顔淵第十二の十三でござる。

漢文
子曰、聽訟吾猶人也、必也使無訟乎。

書き下し文
子曰わく、訟(うったえ)を聴くは、吾(われ)猶(な)お人のごときなり。必ずや訟え無からしめんか。

英訳文
Confucius said, “I can judge a case as well as others. But I would rather reduce cases.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私とて人並みに訴訟を裁くことができるであろうが、それよりは訴訟自体を減らしたいと思う。」

Translated by へいはちろう

前回は子路の訴訟を裁くさまを褒めていたのでござるが、孔子は魯の司寇(警察・司法責任者)を務めてもいたことから、根本的な治安向上には人々を教化することだと考えていたのでござろう。

学校などのなかった時代には西洋では教会、日本では神社や寺院がその役目が負っていたわけでござるが、要するに信仰を利用して人々にモラルを教えていたわけでござる。

孔子の教えを宗教と捉えるか学問と捉えるかは人それぞれで良いと思うのでござるが、当時の人々に対しては中国古来よりの祖霊信仰を利用して「孝」と「礼」の価値観を人々に植え付けて、その元となる「仁」を人々が実践することによって社会は安定する。というのが孔子の目的でござった。

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