孔子の論語 顔淵第十二の四 内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん

孔子の論語の翻訳293回目、顔淵第十二の四でござる。

漢文
司馬牛問君子、子曰、君子不憂不懼、曰、不憂不懼、斯可謂之君子已乎、子曰、内省不疚、夫何憂何懼。

書き下し文
司馬牛(しばぎゅう)、君子を問う。子曰わく、君子は憂えず、懼(おそ)れず、曰わく、憂えず、懼れず、斯れこれを君子と謂うべきか。子曰わく、内に省(かえり)みて疚(やま)しからずんば、夫(そ)れ何をか憂え何をか懼れん。

英訳文
Si Ma Niu asked about a gentleman. Confucius replied, “A gentleman must not be anxious and afraid.” Si Ma Niu asked, “If he is not anxious or afraid, is the person called a gentleman?” Confucius replied, “He has a clear conscience when he reflects on his actions. So he is not anxious or afraid.”

現代語訳
司馬牛(しばぎゅう)が人々の手本たるべき君子について尋ねました。孔子は、
「君子というものは心配や恐れを抱く事は無い。」
と答えられました。司馬牛がさらに、
「たったそれだけで君子と呼べるのですか?」
と尋ねたので、孔子は、
「自らの行いを反省してやましいことがなければ、一体何を心配したり恐れたりする必要があるだろうか。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

司馬牛(しばぎゅう:姓は司馬、名は耕、字は子牛。孔子の弟子の一人。)

逆説的に君子が心配し恐れるのは自らの行いが、自らの正しさに適うか否やという点でござろうな。学而第一の四で曾子が「吾れ日に三たび吾が身を省みる。」とおっしゃってるのはまさにこの事でござろう。

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