孔子の論語 八佾第三の八 絵の事は素を後にす。曰わく、礼は後か。

 孔子の論語の翻訳48回目、八佾第三の八でござる。

漢文
子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、素以爲絢兮、何謂也、子曰、繪事後乎、子曰、起予者商也、始可與言詩已矣。

書き下し文
子夏問うて曰わく、巧笑倩(こうしょうせん)たり、美目盼(はん)たり、素以て絢(あや)を為すとは、何の謂いぞや。子曰わく、絵の事は素を後(のち)にす。曰わく、礼は後か。子曰わく、予(わ)れを起こす者は商なり。始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。

英訳文
Zi Xia asked, “Shi Jing says – ‘Face dimples when she smiles. Eyes are bright and beautiful. Her made up face is very attractive.’ What does it mean?” Confucius replied, “It is like to give the finishing touches to a picture.” Zi Xia asked, “Is the courtesy a finishing touch of human?” Confucius replied, “You have enlightened me. We can talk about Shi Jing from now on.”

現代語訳
子夏(しか)が孔子に、
「詩経に “微笑めばえくぼができ、目はぱっちりと美しい、白粉(おしろい)をつけたその顔はあでやかだ” とありますが、これはどういう意味でしょうか?」と問い、
孔子はこう答えられました、
「絵を描くとき最後に胡粉(こふん)で仕上げをする様なものだ。」
子夏がさらに、
「礼とは人間の仕上げの様なものですか?」と問うと、孔子は、
「これは私でも気づかなかった。これからはお前と詩経について語り合う事が出来そうだ。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

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