学問のすすめ 三編 段落三 その一 独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず

学問のすすめの翻訳、三編 段落三 その一でござる。

現代語訳

第一条 独立の気概を持たない者は、国家の事を真剣に考えない

 独立とは、自分で自分の体を支配し、他人に依存する心が無い状態を言う。自分で物事の是非を区別して判断を誤る事が無いというのは、他人の知恵に依存しない独立である。自分の頭と体を使って自分の生計を立てるというのは、他人の財力に依存しない独立である。

もし人々がこの独立の心を持たないで、他人の力に頼りきってしまったら、国中の人々は必ず誰かに依存する事となり、その責任を引き受ける者がいなくなってしまう。これは例えるなら目の不自由な盲人の行列を先導する者がいないようなもので、とても不都合な事になるだろう。

ある人がこう言った、「民衆を政治に従わせる事はできるが、政治を理解させる事は難しい。もしこの世の中に愚か者と智者が千人づついたならば、智者が愚か者の上に立って彼らを支配し、その考えに従わせるべきである」と。この考え方は孔子様の流儀であるけれども、実はこれは大きな間違いである。

英訳文

Article 1 – A person who doesn’t have the spirit of independence doesn’t take his country to heart.

Independence is the state of controlling one’s own body and not relying on others. A person who can judge what is good or bad by himself has the spirit of independence from others’ wisdom. A person who can earn his living has the spirit of independence from others’ money.

If the people don’t have these spirit of independence and try to just rely on others, all the people become dependent and nobody takes responsibility. This is as if nobody led a parade of blind people and it is utterly inconvenient.

Someone said, “You can make people follow you. But it is difficult to make people understand the reason. If there are a thousand fools and a thousand wise people, the wise people should rule and control the fools.” This is a Confucius’ way, however, this is utterly wrong as a matter of fact.

Translated by へいはちろう

「民はこれに由らしむべし、これを知らしむべからず」は 論語の泰伯第八の九 にある言葉でござるな。論語の現代的な解釈はともかく、儒学というのは士大夫階層による民衆支配を説いたものでござるから、朱子学全盛の江戸時代では福沢諭吉が例に挙げたような考え方が一般的でござった。

しかし以前も言った様に、江戸時代の民衆が欧米諸国のそれと比べて教養の面で必ずしも劣っていたとは言えないでござるな。学校制度はまだ整ってなかったけれども、文字を読んだり簡単な計算ができるくらいの教養は備えていたのでござる。

その代わり欧米諸国の民衆と比べて明らかに劣っていたのが「独立心」という事でござろう。戦国の時代にはそれこそ自ら武器を取って戦うほどの独立心を持っていた民衆も、幕府による統治が長く続くうちに支配される事に慣らされてしまった。国内的にはそれで治まるのだからそれで良いという事にもなるが、もしも他国の脅威が迫った時にそんな民衆が役に立つのかという福沢の問いがこの後続くでござる。

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