孔子の論語の翻訳273回目、先進第十一の十でござる。
漢文
顔淵死、子哭之慟、從者曰、子慟矣、子曰有慟乎、非夫人之爲慟、而誰爲慟。
書き下し文
顔淵(がんえん)死す。子これを哭(こく)して慟(どう)す。従者曰わく、子慟せり。曰わく、慟すること有るか。夫(か)の人の為めに慟するに非(あら)ずして、誰が為にか慟せん。
英訳文
When Yan Hui passed away, Confucius wailed hid death. A disciple said, “Are you wailing, master?” Confucius replied, “Yes, I’m exactly wailing. If I do not wail for him, for whom do I wail?”
現代語訳
顔淵(がんえん)が亡くなった時、孔子は身を震わし声を出して泣いてその死を悲しんだ。
側に居た弟子が、
「先生、泣かれているのですか?」
と尋ねると、孔子は、
「そうだ私は泣いている、彼の為に涙を流さずして誰の為に涙を流すだろうか。」
と答えられました。
Translated by へいはちろう
慟(どう)は身を震わせて悲しむこと、哭(こく)は声を出して泣いて悲しむことでござる。慟哭(どうこく)という言葉があるでござるな。儒教には哭礼という作法があって、死者のために別に涙がでずとも泣いてみせるのが礼儀とされているのでござる。葬式の時に雇われる「泣きマネのプロ」までいるほどなのでござるが、正直に言えばちょっと理解しがたい慣習でござるな。
それはさておき孔子は顔淵の死に際して、体を震わし声をあげて心の底から泣きに泣いたという事でござる。その様に驚いた弟子の一人が孔子を案じて尋ねたところ、この様に返答したという事でござるな。
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