孔子の論語 雍也第六の十五 敢て後れたるに非ず、馬進まざるなり

孔子の論語の翻訳135回目、雍也第六の十五でござる。

漢文
子曰、孟之反不伐、奔而殿、將入門、策其馬曰、非敢後也、馬不進也。

書き下し文
子曰わく、孟之反(もうしはん)、伐(ほこ)らず。奔(はし)って殿(しんがり)たり。将(まさ)に門に入らんとす。其の馬に策(むちう)って曰わく、敢(あえ)て後(おく)れたるに非ず、馬進まざるなり。

英訳文
Confucius said, “Meng Zi Fan doesn’t boast of his service. When our country lost the war, he brought up the rear to protect other corps. He said later, ‘I didn’t do it on purpose, my horse just didn’t run.'”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「孟之反(もうしはん)は自分の手柄を自慢しない。我らが戦に負けたとき、殿(しんがり)を務めて味方の退却を援護したが、見事城に戻ってから言ったものだ。”殿を引き受けたのではない、馬が進まなかっただけなのだ” と。」

Translated by へいはちろう

孟之反(もうしはん:魯の大夫。)

なかなかの好人物でござるな。ちなみにこの戦はBC484年に大国の斉に攻め込まれたもので、魯は南方の呉と協力してこれを撃退しているでござる。そしてBC482年に呉は覇者となるのでござるが、BC473年には越に滅ぼされるのでござる。この有名な呉越の戦いに孔子の弟子である子貢が重大な役割を担っている事は公冶長第五の九で既に述べたのでござるが、それにしても周囲の大国に翻弄される魯国のあり様は何やら色々と考えさせられてしまうでござるな。

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