孔子の論語 憲問第十四の九 裨谌これを草創し、世叔これを討論し、子羽これを脩飾し、子産これを潤色す

孔子の論語の翻訳352回目、憲問第十四の九でござる。

漢文
子曰、爲命卑裨谌草創之、世叔討論之、行人子羽脩飾之、東里子産潤色之。

書き下し文
子曰わく、命(めい)を為(つく)るに裨谌(ひじん)これを草創(そうそう)し、世叔(せいしゅく)これを討論し、行人(こうじん)子羽(しう)これを脩飾(しゅうしょく)し、東里(とうり)の子産(しさん)これを潤色(じゅんしょく)す。

英訳文
Confucius said, “A diplomatic document of Zheng is drafted by Bi Chen, verified by Shi Shu, corrected by Zi Yu who is a diplomat and embellished by Zi Chan from Dong Li.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「鄭(てい)の国の外交文書は、裨谌(ひじん)が草案を作成し、世叔(せいしゅく)が内容を検証し、外交官の子羽(しう)が添削を行い、東里(とうり)の子産(しさん)が色付けして作成されている。(だから大変優れているのだ)」

Translated by へいはちろう

裨谌(ひじん:鄭の大夫。外交・謀術に長けており子産と協力して外交問題を処理した。)

世叔(せいしゅく:鄭の大夫。博覧強記の人物。)

子羽(しう:鄭の臣。諸外国の事情や外交辞令に通じていて、外交官として活躍した。)

子産(しさん:鄭の宰相。姓は姫、氏は公孫、名は僑、字は子産。詳細は公冶長第五の十六に。)

晋と楚という二つの大国にはさまれた小国の鄭は外交交渉をうまくやらねば生き残る事ができなかったのでござる。しかし晋の文王(重耳)が亡命して来た時に粗略にして後で報復されたり、晋と楚を両天秤にかけて結果どちらからも信頼されなくなったりなどしてどんどん衰弱して行たところで現れたのが春秋の名宰相の一人である子産という訳でござるな。

孔子には珍しく、ほぼ同時代の人物であるこの子産を尊敬していたそうでござる。

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