孔子の論語 子路第十三の八 富に有るに曰わく、苟か美し

孔子の論語の翻訳321回目、子路第十三の八でござる。

漢文
子謂衛公子荊、善居室、始有曰苟合矣、少有曰苟完矣、富有曰苟美矣。

書き下し文
子、衛(えい)の公子荊(こうしけい)を謂(い)わく、善く室を居(お)く。始め有るに曰わく、苟(いささ)か合う。少しく有るに曰わく、苟か完(まった)し。富(さかん)に有るに曰わく、苟か美(よ)し。

英訳文
Confucius said about young lord Jing of Wei, “He is good at accumulation of wealth. He said, ‘I can manage to make ends meet somehow.’ when he began to accumulate. He said, ‘I am somehow prepared.’ when he had some wealth. He said, ‘I’ve got sufficient property somehow.’ when he had plenty of wealth.”

現代語訳
孔子が衛の公子荊(こうしけい)についておっしゃいました、
「彼は蓄財が上手い。自分の家を持って蓄財を始めた頃には、”なんとかやり繰りできますよ” と言い、少し財産ができた頃には、”なんとか体裁が整いましたよ” と言い、かなりの財産ができた頃には、”ようやく一人前の財産ができましたよ” と言っていた。」

Translated by へいはちろう

公子荊(こうしけい:衛の公族、公子とは国公の一族に対する尊称。)

世界における三大商業民族(商売の上手い民族)といえば、ユダヤ・インド・華僑でござるが、彼らの特徴は教育熱心な事に加えて蓄財に対して悪いイメージが無い点でござる。

厳密に話すととても大変なのでござるが、日本では古来よりの仏教の影響や江戸時代に朱子学に禅宗の清貧の思想を併せて武士階級が発展していった経過もあって、「金持ち」という言葉にあまり良いイメージはござらんな。

これもやはり厳密に話すと大変なのでござるが、「お金を貯める事」に関する各宗教の考え方とその変遷は宗教史・人類史を考える上でとても興味深い視点の一つでござる。

人類社会が発展して貨幣経済が定着し、そこに商人階級が形成されると彼らの身分を社会的に擁護するための思想が必要になってくる。もともと孔子の時代の中国をはじめ、商人というのは生産者である農民からも支配者階級からも差別の対象となりやすかったのでござるが(「商」という言葉は殷の国を築いた商族が周に国を滅ぼされた後で、商売をやって生きていくしかなかったという差別意識から生まれた。)、社会経済の発展ともに影響力を強めていった彼らの権利を守るために新たな宗教・宗派・政治思想が生みだされてきたのでござる。当然それらに対する反発的な思想も生産者階級から生まれるわけでござるが、ごく最近というか現在進行形というか資本主義と共産主義の対立もこれらの一種でござるな。政治思想を云々するブログでは無いのでこれ以上は語らないでござるが。

先に挙げたユダヤ・インド・華僑も彼らなりの権利を確立するためには異国の地で商売を成功させる以外になかったという歴史的背景もあり、それだからこそ地域住民の反発を買ったということもあったのでござる。

子路第十三の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 子路第十三を英訳を見て下され。