孔子の論語 顔淵第十二の九 百姓足らば、君孰と与にか足らざらん

孔子の論語の翻訳298回目、顔淵第十二の九でござる。

漢文
哀公問於有若曰、年饑用不足、如之何、有若對曰、盍徹乎、曰、二吾猶不足、如之何其徹也、對曰、百姓足、君孰與不足、百姓不足、君孰與足。

書き下し文
哀公(あいこう)、有若(ゆうじゃく)に問いて曰わく、年饑(う)えて用足らず、これを如何(いかん)。有若対(こた)えて曰わく、盍(な)んぞ徹(てつ)せざるや。曰わく、二にして吾(われ)猶(な)お足らず、これを如何ぞ其(そ)れ徹せんや。対えて曰わく、百姓(ひゃくせい)足らば、君孰(たれ)と与(とも)にか足らざらん。百姓足らずんば、君孰と与にか足らん。

英訳文
Marquis Ai asked You Ruo, “This year is a lean year. And the annual revenue is insufficient. What should I do?” You Ruo replied, “You should reduce taxes to 10%.” Marquis said, “20% is not enough now. Why should I reduce taxes to 10%?” You Ruo replied, “When the people are wealthy, why can the monarch be needy? When the people are needy, why can the monarch be wealthy?”

現代語訳
魯の哀公(あいこう)が有若(ゆうじゃく)に尋ねました。
「今年は不作で歳入が足らない。どうしたら良いだろうか?」
有若が、
「年貢を一割に下げてはいかがでしょうか。」
と言うと、哀公は、
「二割でも足りないと言うのに、どうして一割に下げねばならんのだ?」
と尋ねました。有若は、
「人民が豊かならば、どうして君主が貧しいと言えましょう。人民が貧しいと言うのに、どうして君主が豊かになれましょうか。」
と答えました。

Translated by へいはちろう

哀公(あいこう:魯の君主、爵位は侯爵。在位 BC494-BC468。)

有若(ゆうじゃく:孔子の弟子の一人。孔子に容貌が似ていたため孔子の死後に弟子達に推されて孔子の代理を務めることになり有子と呼ばれる。しかし弟子の問いかけに満足に答えられなかったために、まもなく代理からはずされることとなった。学而第一には有子の言葉が3つ収録されている。)

現代ならば豊作の年に穀物を備蓄して不作の年にそれを開放するという事ができるのでござるが、当時は設備も十分でないうえにちょくちょく大国から嫌がらせの戦争をしかけられるので食糧の確保は春秋戦国を通して為政者の悩みのタネだったでござろうな。

戦国時代になると戦争はおろか儒者が行う盛大な葬儀も無駄遣いだと批判する墨子の考えが人民にひろく受け入れられたのも納得できる話でござる。非攻と節用は墨家の特徴の一つでござるな。

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