孔子の論語 公冶長第五の二 邦に道あれば廃てられず、邦に道なければ刑戮に免れん

孔子の論語の翻訳94回目、公冶長第五の二でござる。

漢文
子謂南容、邦有道不癈、邦無道免於刑戮、以其兄之子妻。

書き下し文
子、南容(なんよう)を謂(い)わく、邦(くに)に道あれば廃(す)てられず、邦に道なければ刑戮(けいりく)に免(まぬが)れんと。其(そ)の兄の子(こ)を以(もっ)てこれに妻(めあ)わす。

英訳文
Confucius talked about Nan Rong, “(Because he is a very careful person.) He will be employed by the government at the peaceful period. And he will not be imprisoned at the turbulent period.” Thus Confucius married his big brother’s daughter to Nan Rong.

現代語訳
孔子が南容(なんよう)についておっしゃいました、
「彼は(大変慎重なので)治世においては用いられ、乱世においては刑罰を免れるだろう。」
こうして孔子は兄の娘を南容と結婚させました。

Translated by へいはちろう

南容(なんよう:姓は南宮、名は括、字は子容。孔子の門弟の一人。史記にある伝承では、孔子は南容のつてを使って周の国の蔵書庫の記録官をしていた老子のもとへ訪れ礼について質問したが叱責され追い返されたとある。)

前回の文と比べて見ると面白いでござるな、前回の公冶長(こうやちょう)は不注意から投獄されて無罪になった後に孔子の娘を嫁にもらったのでござるが、今回の南容は慎重であるから孔子の兄の娘を嫁にもらうのでござる。これは孔子が兄をたてている事と慎重である事の大切さを説いているのでござる。

前回と今回の文を併せて一つの文とする見方もあるでござる。また南容を魯の実質的支配者である御三家の一つである孟孫氏の息子だとして、自分の娘は家柄を考慮せず嫁がせたが兄の娘は家柄を考慮して嫁がせたとする説もあるでござる。

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