学問のすすめ 四編 段落六 その二 蓋し意の悪しきに非ず、唯世間の気風に酔て自から知らざるなり

学問のすすめの翻訳、四編 段落六 その二でござる。

現代語訳

試しにその実例を挙げてみよう。現在世の洋学者流の人々はほぼ全員が官職に就き、私人の身分で事業を行っている者は指で数えるほどしかいない。かと言ってそれは、彼らがただ私利私欲を貪ろうとしている訳ではなく、生来の教育による先入観によって、政府以外の事象が目に入らず、政府でなければ何事も成しえないと思い込み、その力を頼って長年培った立身出世の志を遂げようとしているだけに過ぎない。

たとえ世に名の知れ渡った大先生でさえも、この例に漏れる事がなく、その行動には眉をひそめざるを得ない点もあるが、その真意は深く咎めたてるという程でもない。まさしくその真意が悪い訳ではない、ただ世間の気風に流されている自分に気がついていないだけである。名声を得た大人物でさえこうなのだ。天下の人々がその真似をしたとしても仕方のない事である。

若い書生が、わずかに数冊の書物を読んだだけでたちまち官職を志し、また有志の町人も、わずかに数百の資金があればただちに官の名を借りて商売を行おうとする。学校を開くにも官の許しがいる、寺の説教にも官の許しがいる、牧畜をするにも官許、養蚕をするにも官許と、およそ民間の事業の七割から八割には政府が関わっている。こんな具合であるから世の人々の心はますますその風になびき、官を慕い官を頼り、官を恐れ官に諂って、独立の気概をわずかにでも表そうとする者などおらず、その醜態は実に見るに堪えないほどである。

英訳文

As an example, almost of all scholars of Western studies have become governmental officers and only a few of them are doing their job in private sector. However, it is not because they look after their own interests, but because they were educated to aim at only the government, think that they can do nothing if they are not in the government and aspire to accomplish their longstanding ambition by relying on it.

Even a prominent scholar is no exception to this rule. Although his conduct seems despicable, you don’t have to blame his intention. It is not because his intention is bad, but because he cannot realize that he is influenced by the spirit of this country. Even a famous great person is like this, so it is natural that the people in this country follow the example.

Young students aspire to the government soon after reading a few books. Townspeople with ambition begin their business under the government’s name if they have some money. You have to get the government approval to build a school, preach a sermon, raise cattle and rear silkworms. About seventy to eighty percent of private business are related with the government. Therefore, the people in this country are increasingly influenced by the government and they worship, rely on, fear and flatter it. Nobody expresses his spirit of independence at all and I cannot endure this shame.

Translated by へいはちろう

江戸時代までの人々にとっての立身出世とは、主君に仕え、功績が認められて地位が上がり、その名が世間に知られる事でござった。しかし武士ではないその他の平民はこの様な出世を望むべくもなく、武士でなければ商人となって成功するという道もあったものの、商売を卑しむ儒学の影響もあってこれを名誉と考える風潮はあまりなかったのでござる。

しかし明治の時代となり身分制度が廃止され、それまで立身出世の機会が与えられなかった人々にも能力に応じて機会が与えられる様になると、彼らは明治維新の功労者達に続けとばかりにこぞって学問をする事となる。福沢諭吉の「学問のすすめ」が当時の大ベストセラーとなったのは、そういう事情もあったのでござろう。

しかし福沢は以上の通り、そんな世間の風潮からさらに一歩進んだ視点を持っていた様でござるな。かつて人々がその能力に応じて立身出世できなかったのは儒学の影響であるはずなのに、何を持って立身出世とするかについての価値基準が儒学の影響に縛られたままとは何たる皮肉でござろうか。

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