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老子 第六章 谷神は死せず、これを玄牝と謂う

老子の翻訳、第六章でござる。

原文
谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。

書き下し文
谷神(こくしん)は死せず。これを玄牝(げんぴん)と謂(い)う。玄牝の門、これを天地の根(こん)と謂う。緜緜(めんめん)として存(そん)する若(ごと)く、これを用いて勤(つ)きず。

英訳文
Valley goddess who produces all things never dies. I call her “mysterious motherhood”. Heaven and earth appeared from her gate. Her existence is vague and obscure. But she is producing all things unceasingly.

現代語訳
万物を生み出す谷間の神は、とめどなく生み出して死ぬ事は無い。これを私は「玄牝(げんぴん) – 神秘なる母性」と呼ぶ。この玄牝は天地万物を生み出す門である。その存在はぼんやりとはっきりとしないようでありながら、その働きは尽きる事は無い。

Translated by へいはちろう

またなんだか良く解らない文章でござるが、「道」の働きを母性に例えているわけでござるな。谷神とは女性(器)と大河の源流としての谷川を神格化した例えでござる。

「道」は万物を生み出す母なる存在であり、その門からとめどなく生命が生み出される様を言っているのでござるな。その姿ははっきりとせず(概念上の話なので当然でござるが)人間の様な姿をしているわけではないが、女性器から生命が誕生する様に万物は生み出されているというわけでござる。

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老子 第五章 天地は仁ならず

老子の翻訳、第五章でござる。

原文
天地不仁、以萬物爲芻狗。聖人不仁、以百姓爲芻狗。天地之間、其猶槖籥乎。虚而不屈、動而愈出。多言數窮。不如守中。

書き下し文
天地は仁ならず、万物をもって芻狗(すうく)となす。聖人は仁ならず、百姓(ひゃくせい)をもって芻狗となす。天と地の間は、其(そ)れ猶(な)お槖籥(たくやく)のごときか。虚(むな)しくして屈(つ)きず、動きていよいよ出ず。多言はしばしば窮(きゅう)す。中(ちゅう)を守るに如(し)かず。

英訳文
Mother Nature is not benevolent. She uses all things once and then throws them away. The saint who knows “the way” does not express benevolence. He rules people like he is ignoring them. The work of Mother Nature is like a bellows. All things are produced every time she moves, even though she is empty. If you cannot put your words into practice, do not speak flowery words.

現代語訳
天地自然の働きに仁愛の心は無い、万物を使い捨てにしている。「道」を知った聖人の政治も仁愛の心は表さない、民衆に対して素知らぬ顔をしている。天地自然の働きは空気を送り出す鞴(ふいご)の様なもので、空っぽの中から尽きることなく万物が生み出され、動けば動くほどに溢れ出てくる。仁愛をいくら言葉で言い表そうとも実行できずに終わるのならば、余計な事は言わない方が良い。

Translated by へいはちろう

仁とは言うまでも無く孔子がとなえた儒学の最高徳目でござるが、それにまっこうから反論する言葉でござるな。

確かに自然というのは人為的な優しさや愛情を持ち合わせてはいないものでござる。ライオンに食べられるシマウマが可哀想だからといって助けていたらライオンが飢え死にしてしまうでござるな。そういう優しさを持ち合わせていなくても調和が保たれるようにできているのが自然でござる。老子はその様を鞴(ふいご:吹子とも書く。火を強くするために空気を送り出す道具)に例えているのでござる。

人間社会でいえば、弱い者を神様や仏様が何やら不思議な力で助けてくれるわけではない。だからこそ自ら努力して人間同士で助け合わなければいけないのでござる。「天は自ら助くる者を助く」とか「人事を尽くして天命を待つ」とかいうのはこういう事でござるな。

他には徳川綱吉の生類憐れみの令というのがあるのでござるが、為政者が個人的な憐憫の情を民衆に強制したら迷惑この上なかったという実例でござる。

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老子 第四章 道は冲しきも、これを用うれば或た盈たず

老子の翻訳、第四章でござる。

原文
道冲、而用之或不盈。淵乎似萬物之宗。挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。湛兮似或存。吾不知誰之子。象帝之先。

書き下し文
道は冲(むな)しきも、これを用(もち)うれば或(ま)た盈(み)たず。淵(えん)として万物の宗(そう)に似たり。その鋭(えい)を挫(くじ)いて、その紛(ふん)を解(と)き、その光を和(やわら)げて、その塵(ちり)に同(おな)じくす。湛(たん)として存(そん)する或(あ)るに似たり。われ誰の子なるかを知らず。帝(てい)の先(せん)に象(に)たり。

英訳文
“The way” is like an empty vessel. But you can never fill it up. Its depth is the depth of the Creator. It dulls edges, disentangles threads, softens the light and assimilates into dust. It calmly exists like water. I do not know who/what created it. But it might be an ancestor of the emperor of heaven.

現代語訳
「道」は空っぽの器の様にそれだけでは何の役にも立たないように見えるが、それを満たそうとしても満ちる事がないくらいに遠大なものである。その懐の深さは万物を生み出す根源の深さでもある。それは鋭くとがった刃先を丸くし、もつれた糸を解きほぐし、光の輝きを和らげ、何でもない塵と一つになる。まるで水を湛えた器の様に静かにそこにある。その「道」はどこから生まれたのか解らないが、万物を司る天帝のさらに祖先であるようだ。

Translated by へいはちろう

何だか良く解らない「道」の何だか良く解らない説明でござるな。

しかし「空っぽの器」という例えはとても解りやすい。器というものは中が空であるからこそ、そこに何かを入れる事ができるのでござる。「何もない」という事が全てを受け入れる包容力の源となっているのでござるな。

「その光を和げて、その塵に同じくす。」の部分は和光同塵という後々仏教にも取り入れられた言葉の原典でござるな。「道」のあり方を人間のあり方として捉えた解釈でござる。

和光同塵(わこうどうじん) – 自分の才能や徳を隠して、世俗の中に交じって慎み深く目立たないように暮らすこと。仏教では仏や菩薩が人々を救うために、本来の姿を隠して人間界に現れることをいう。

天帝というのは中国信仰の最高神の事で、万物を支配する神様の事でござるな。この天帝を祀るのが地上の天子(皇帝)というわけでござる。人格神ではないので人間の様な姿を持たないとされているのでござるが、七夕で有名な織姫はこの天帝の娘でござる。

拙者もいつか空っぽの器の様な人間になりたいものでござる。

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老子 第三章 賢を尚ばざれば、民をして争わざらしむ

老子の翻訳、第三章でござる。

原文
不尚賢、使民不爭。不貴難得之貨、使民不爲盗。不見可欲、使民心不亂。是以聖人治、虚其心、實其腹、弱其志、強其骨。常使民無知無欲、使夫知者不敢爲也。爲無爲、則無不治。

書き下し文
賢(けん)を尚(たっと)ばざれば、民をして争わざらしむ。得難(えがた)きの貨を貴(たっと)ばざれば、民をして盗(とう)をなさざらしむ。欲(ほっ)する可(ところ)を見(しめ)さざれば、民の心をして乱(みだ)れざらしむ。ここをもって聖人の治は、その心を虚(むな)しくし、その腹を実(み)たし、その志を弱くし、その骨を強くす。常に民をして無知無欲ならしめ、夫(か)の知者をして敢(あ)えてなさざらしむ。無為をなせば、則(すなわ)ち治(おさ)まらざる無し。

英訳文
If a leader did not respect an able person, people would not compete one another. If a leader did not value treasures, people would not steal them. If a leader did not give information that stimulate people’s desire, they would stay calm. So the saint who knows “the way” makes people be ignorant, then makes their stomach full. He weakens people’s desire, then strengthens their body. He makes people be ignorant and disinterested, then they will not be tempted by crafty people. If a ruler never does what is unnecessary, his country will be at peace without fail.

現代語訳
人の上に立つ人間が有能な人間を尊ぶ事がなければ、人々が互いに競争する事もなくなるだろう。貴重な品々を有難がらなければ、盗みを働く者もいなくなるだろう。欲望を刺激する様な情報を絶てば、人々の心は落ち着くだろう。だから「道」を知った聖人の政治というのは、人々の頭を空っぽにして、そのお腹を一杯に満たす。人々の欲望を弱くして、その肉体を強くする。人々を無知無欲にして、小賢しい知恵者などにたぶらかされない様にするのだ。そうやって余計な事をしない無為の政治を行えば、世の中が治まらないなどという事は無い。

Translated by へいはちろう

知識や文化を批判する老子の過激な主張でござるな。適度な欲望は人や人類社会を向上させるものでござるが、過度な欲望は争いを生むものでござる。

一見すると愚民政治を推奨している様にもとれるのでござるが、そうではござらん。不必要な欲望を刺激して人々の心身を疲労させる様な事はせず、本来重んじるべき最低限の欲望で満足させて心身を健康にさせなさいという事でござる。

欲望が強い人間は、頭の良い人間に利用されやすくなる。人の上に立つ人間が頭の良い人間を集めて能力を競わせれば、彼らはその能力を存分に発揮して他者を利用し蹴落とすでござろう。そうなれば世の人々はこぞって争い、世は乱れに乱れる。

いささか極端ではあるが、なかなかに考えさせられるものがあるでござるな。

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老子 第二章 天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ

老子の翻訳、第二章でござる。

原文
天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。

書き下し文
天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善(ふぜん)のみ。故(まこと)に有と無相(あい)生じ、難と易相成り、長と短相形(あらわ)れ、高と下相傾き、音と声相和し、前と後相随(したが)う。ここを以(も)って聖人は、無為の事に処(お)り、不言(ふげん)の教えを行なう。万物ここに作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず、生じるも而も有とせず、為すも而も恃(たの)まず、功成るも而も居(お)らず。夫(そ)れ唯(た)だ居らず、ここを以って去らず。

英訳文
Everyone recognizes the beauty as the beauty. But this is an ugly thing. Everyone recognizes the good as the good. But this is a bad thing. Because being and not being, difficult and easy, long and short, high and low, these are relative concepts. Sounds and voices harmonize each other. The front and the back exist each other. So the saint who knows “the way” does not distinguish them and practices teachings that cannot be told. He does not explain all things of the world, does not possess things that he made, does not rely on things that he achieved, and does not stay in his success. All of them follow him because he is never attached to them.

現代語訳
世の人々は皆美しいものを美しいと感じるが、これは醜い事なのだ。同様に善い事を善いと思うが、これは善くない事なのだ。何故ならば有と無、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、これらは全て相対的な概念で、音と声も互いに調和し、前と後もお互いがあってはじめて存在できるからだ。だから「道」を知った聖人は人為的にこれらを区別せず、言葉にできない教えを実行する。この世の出来事をいちいち説明せず、何かを生み出しても自分の物とせず、何かを成してもそれに頼らず、成功してもそこに留まらない。そうやってこだわりを捨てるからこそ、それらが離れる事は無いのだ。

Translated by へいはちろう

多くの人が追い求めたり拘ったりするこの世のありとあらゆる価値観が、相対的で不確かなものだと説いているのでござるな。

ある物を「美しい」と感じた時に、同時に「美しくないもの」という概念が生まれるのでござる。「善い」と感じれば「悪い」が生まれ、知る事・認識する事というのは区別する事でもあるのでござる。

思春期の少年少女が鏡を見て溜息をつくのは美しい異性を求めるからでござるな。この様に適度なコンプレックスは人を成長させる良い面もあるのでござるが、強すぎる欲望は過度の執着を生み、大きな期待は大きな挫折を生むものでござる。

無用なこだわりを捨てれば、得られるものはその何倍にもなるでござろう。

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