老子の翻訳を終えて

さて長かった老子道徳経の翻訳もようやく終わり、ひさびさにたわごとを書くことができるようになったでござる。

老子の翻訳を始めたのが 2009年の9月末、終了したのが 2011年6月始め。いくらなんでも 1年半以上は時間をかけすぎだと思うのでござるが、途中から今日の英単語の方の更新に力をいれるようになったり、拙者の頭の中に住んでいた老子が旅にでかけてしまって翻訳がめんどくさくなってしまったりと、大きな間があいてしまったことが原因でござるな。

なにしろ老子の内容を真剣に考えれば考えるほど、老子の翻訳とか解説とか自分のやっていることがちっぽけに思えてきてしまうから困りものでござった。以前にも書いたでござるが、哲学とか思想とかを語るにはある程度の無意識下にあるストレスが必要なのだと思う次第でござる。それが老子のおかげで自分が成長したのかそれとも馬鹿になったのか、難しいことを考えようとする気がまったく起きない。正月ボケが年中続いているような状態となってしまったのでござる。

ただこれも前に書いたでござるが、こういう状態こそ拙者にとっては理想に近く、その状態から無理にやる気を出して翻訳を続けようとも思ってはいなかったでござる。何人かコメントを残してくださった御仁もおられて少々気が咎めたのでござるが、自分のペースで翻訳をさせていただいた次第でござる。

今後このブログをどうしていくかについてでござるが、しばらくは不定期に英語に関係したりしなかったりすることを気ままに書いていくつもりでござる。ただ前述のとおりストレスの欠けた拙者にはとくに語ることもないので、もしかしたらまったく更新しなかったりするかもでござる。

それとは別に過去に翻訳した十七条憲法に現代語訳を付け足す作業もしようと思っているでござる。基本的にこのブログでの翻訳は拙者の英語学習のために行っているのでござるが、十七条憲法のときには「本当に」自分の英語学習のことしか考えていなかったために現代語訳をつけていないのでござる。しかしその後で論語や老子を翻訳するにあたって現代語訳をつけるようになると、英語関係なしにこのブログを訪れる方も増えたみたいなので、そういう方々のためにも現代語訳をつけるべきと思い至った次第でござる。

そしてしばらく時間をおいて良い具合にストレスも溜まってきて、色々と真面目なことも語りたくなったら、今度は日本の古典の翻訳に挑戦するつもりでござる。具体的に何を翻訳するかはまだ秘密でござるが、拙者の英語学習にひとつの区切りをつける翻訳となるでござろう。あの時の拙者に今と同じくらいの英語力があれば…