孔子の論語 里仁第四の二十一 父母の年は知らざるべからず

 孔子の論語の翻訳87回目、里仁第四の二十一でござる。

漢文
子曰、父母之年、不可不知也、一則以喜、一則以懼。

書き下し文
子曰わく、父母の年は知らざるべからず。一は則(すなわ)ち以て喜び、一は則ち以て懼(おそ)れる。

Confucius said, “You must know your parents’ age. To be glad of their longevity and to take care of their health.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「両親の年齢を把握していなければならない。一つは長寿を喜び、もう一つは健康を気遣うために。」

Translated by へいはちろう

論語の良い所はこの様な素朴な孝みたいなものが時々垣間見れる所でござるな。しかしこれが同じ儒学でも孝経となると素朴とはちょっと言いがたいでござる。

なお老子は、

六親和せずして孝慈あり – 老子 第十八章

と家族同士が本来もつ素朴な愛情から離れた儒学の孝を否定しているのでござる。

拙者もどちらかと言えば老子の言葉に賛成でござる。親が子を愛し子が親を愛するのはむしろ自然な事であって、殊更に孝などと言う必要は本来無い筈なのでござる。

しかし現実には残念ながら仲の良い家族ばかりでは無く、また仲の良い家族であっても時折仲違いをしてしまうのも事実でござる。それ故に孔子や曾子は孝を重んじたのでござるが、勉強熱心な儒家たちの手によって孝は複雑化し形式化して本来の目的を見失う事になったのでござる。

ここで一つ考えさせられる歴史のエピソードを紹介させていただくでござる。

漢は高祖の時代から匈奴の冒頓単于(ぼくとつぜんう)の侵攻に苦しめられていた。五代皇帝の文帝の時代になって文帝は皇女を冒頓単于の息子である老上単于(ろうじょうぜんう)に嫁がせて和親政策を取ろうとした。その時皇女の付き人として中行説(ちゅうこうえつ) という宦官を同行させた。大きな野心を持って出世しようと勉学に励み宦官にまでなった中行説は出世の道が絶たれた事に絶望して老上単于に対して忠誠を誓い匈奴の為に数々の策を献じた。老上単于は中行説を信頼してその策に従い、14万騎を従えて長城を超え漢の領土で略奪を欲しいままにした。

中行説は老上単于に対して特に匈奴が漢の豊かな生活になじんで本来の生活様式を失っていっている事を何よりも諌めた。 ある時漢からの使者が訪れて匈奴の風俗を批判して言った。

使者
「年長者を敬うのは年少者の務めである。しかし聞くところによると、匈奴では若者が美食を食べて、老人を粗末に扱うというがいかがか。」

中行説
「貴国では国境守備兵として出征する兵士に対して、年老いた親が自らの冬着やとって置きの食料を子供に持たせないとでもおっしゃるのか。」

使者
「いやそんなことはない。」

中行説
「匈奴では戦闘をもって国の根幹にしていることは、あなたがたもご存じのはずだ。漢とは違ってこの国では国民がそのことを自覚している。老人や病弱者は戦闘ができない。だから若者に自らの衣食をすすんで譲るのである。そうすることによって彼らは自らも国を守る行為に積極的に参加しているのであり、その結果家庭が守られているのだ。どうして匈奴が老人を粗末にしているなどといえようか。」

使者
「匈奴では、父と子が同じ天幕で起居を共にする。父が死ぬと継母を妻とし、兄弟が死ぬとその妻を自分の妻にする。また朝廷での礼儀も無い。上下老幼の人倫がどこにあるというのか。」

中行説
「匈奴では家畜の肉を食い乳汁を飲み、皮を着る。このように匈奴の生活と家畜とは一身同体の関係にあり、季節に応じて移動しながら生活し城を構えない。この様な習俗にあるために法制は簡略であり実行しやすくできている。君臣関係も形式にとらわれないから、一国の政治も一身を修めるに等しい。父や兄弟が死ぬと、その妻をめとって自分の妻にするのは、家系が途絶えるのを恐れるからであって人倫を外しているわけではない。」

使者
「孔子は礼楽こそ人倫の極みであると述べておられる。礼儀無くしてどの様に上下老幼の別が守られるというのか。また父兄の妻をめとることがどうして人倫に叶うと言えるのか」

中行説
「あなたは匈奴に礼儀が無いと言われるが、貴国では礼儀の弊害ばかり現れている。うわべこそ父兄の妻をめとることをしていないが、そのことによって親族の間がますます疎遠になり殺し合い、異姓にする者まで居るではないか。礼楽を勉強する結果、君臣の関係は硬直し互いに怨み合っている。体裁を保つために生計も考えずに競って住む家を飾りたてている。衣食を農耕と養蚕に頼り防衛は城壁に頼っていて、人民は満足に戦いもできぬ。平和な時には生産に追われて疲れきっている。それにあなた方はもっとも肝心なことをお忘れのようだ。ここは漢ではなく、匈奴なのだ。孔子がどれほど偉い方か知らぬが、それは貴国でのこと。わが国にいかなる関係があるというのか。偉そうに礼楽などと言った所で、所詮その程度のもの。他国に来てまで威張れることではあるまい。漢に習俗があるのと同様に、匈奴には匈奴の習俗があるのだ。」

里仁第四の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの孔子の論語 里仁第四を英訳を見て下され。