孔子の論語の翻訳64回目、八佾第三の二十四でござる。
漢文
儀封人請見、曰、君子之至於斯也、吾未嘗不得見也、從者見之、出曰、二三子何患者於喪乎、天下之無道也久矣、天將以夫子爲木鐸。
書き下し文
儀(ぎ)の封人(ふうじん)、見(まみ)えんことを請(こ)う。曰わく、君子の斯(ここ)に至るや、吾未だ嘗(かつ)て見ることを得ずんばあらざるなり。従者これを見えしむ。出でて曰わく、二三子(にさんし)、何ぞ喪(そう)することを患(うれ)えんや。天下の道なきや久し。天、将(まさ)に夫子(ふうし)を以て木鐸(ぼくたく)と為さんとす。
英訳文
When Confucius and his pupils were at the border of Wei, the warden of the barrier asked to meet Confucius. He said, “I meet every sage who pass this barrier.” Pupils made him meet Confucius. After meeting Confucius, he said to pupils, “Don’t regret that Confucius lost his official post. The earth has lost morals and justice for a long time. So the Heaven uses Confucius as a wood bell (rung to announce decrees to the people).”
現代語訳
孔子一行が衛の国境にある儀の関所を通過する時、関所の役人が孔子に会いたいと申し出てきた。彼は「私はこの関所を通過する全ての賢人にお会いしています。」と言い、弟子達は彼を孔子に会わせました。役人は孔子に会った後、弟子達にこう言いました、
「孔子が官職を失った事をどうぞ嘆かないで下さい。天下の人々から道徳や信義が失われてから随分とたちます、だからこそ天は孔子を木鐸(ぼくたく:役人が人々に御触れを告げる時に人を集めるために鳴らした)として各地にお遣わしなさっているのです。」
Translated by へいはちろう
「この名も解らぬ役人こそ賢人と呼ぶのではござらんか?」と思ってしまうほど見事な物の例えでござるな。なお世の人々を教化する人の事を「社会の木鐸 (例:新聞は社会の木鐸)」などと言うのは今回の文が出典でござる、最近はとんと聞かないでござるけど。
この文は素直に読むのが一番良いと思うのでござるが、あえて自分が孔子の弟子になったつもりで流浪を続ける孔子の身の上をどう思うか考えて見るのも良いかも知れないでござるな。 生きてついに理想適わず、死して聖人になった孔子。論語が編纂されたのは弟子たちの孔子への哀悼からでは無いかと思う次第。
八佾第三の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの孔子の論語 八佾第三を英訳を見て下され。