「学問のすすめ」の翻訳を始めます

さて毎週木曜日更新をすると決めたものの、更新のネタが決まらない事にはどうしようもない。少し前まではなんとも無しに英語表現を紹介していたのでござるが、いざ毎週更新しようと決意してみるとどうにもやる気が出てしまって、もっと大きな目標を持ちたくなってしまったのでござる。

もとよりこのブログは拙者自身の英語学習に対するモチベーション維持のために運営しているので、久しぶりに出たやる気を無駄にするのは本末転倒と言うものでござる。という事で、およそ2年ぶりに書物の翻訳をする事にしたという訳でござる。

今回翻訳する本は福沢諭吉の「学問のすすめ」、日本人ならば知らぬ者はまずいないというほどの名著中の名著でござる。ただその名と冒頭の句は有名でも、残念ながら一冊を通しては読んだ事が無いという御仁も多いはず。実にもったいない事でござるな。

「学問のすすめ」はその名の通り、日本が歴史的変革をしている最中の明治の初頭に、広く国民に対して学問の必要性を説いた本でござる。

「なぜ学ぶのか」、これは現代人ならば誰しも一生に一度は考える疑問だと思うのでござるが、この問いに対する明確な答えを教えてくれる人はまずいないでござるな。「将来のため」などと言われても、明日の事さえ解らぬ年頃の御仁を納得させるだけの説得力は持ち合わせてはいないでござろう。しかしこの本にはその問いの答えとなる一つの示唆が隠されていると拙者は考える次第でござる。

その示唆を解りやすく言うと、「親や先生に言われるままに学んでいる自分自身に疑問を持つため」でござる。もちろんこれが全てではないのでござるが、そもそも学の無い人間は世間で良いとされている事に対して疑問など持たないでござろう。つまり学んでいる自分自身に疑問を持った時点で、その人は学問による成果を得ていると言っても良いのでござる。

もしどうしても他にやりたい事があって学問の道から離れてしまっても構わないし、その後より一層学問に励んでも良い。自分で考える頭を得たというその一点だけでも学問には価値があると拙者は考える次第でござる。「なぜ学ぶのか」、その問いに対する答えはそもそも他人から教えてもらえる性質のものではないのでござるな。

さて話を翻訳に戻すと、このブログでは「学問のすすめ」の全17編を来週から毎週木曜日、1回につき1~3段落程度を目安に英訳していくつもりでござる。あと拙者なりに解りやすい言葉になおした現代語訳も掲載するつもりでござる。またブログだと全体を通して読むには不便だと思うので、これまで翻訳した書物と同様、本サイトの方に訳文をまとめたページも作るでござるよ。

このペースだと全編の翻訳が終わるまでにどれくらいかかるか解らないでござるが、それを真面目に計算すると止めたくなってしまうかも知れないのでそれは考えない事にしているでござる。みなさんに対しても、毎週毎週更新をチェックしろなどと言うつもりは毛頭なく、たまに訪れて進捗状況を確認していただれば、拙者にとっては大きな励みになるでござるよ。

と言う事で発表してしまったからにはもう後には引けない! ここはいっちょ覚悟を決めて翻訳を始めるとするでござるか!!!