孔子の論語 子罕第九の十五 雅頌各々其の所を得たり

孔子の論語の翻訳223回目、子罕第九の十五でござる。

漢文
子曰、吾自衛反於魯、然後樂正、雅頌各得其所。

書き下し文
子曰わく、吾(われ)衛(えい)より魯(ろ)に反(かえ)り、然(しか)る後に楽(がく)正しく、雅頌(がしょう)各々(おのおの)其の所を得たり。

英訳文
Confucius said, “After I returned from Wei to Lu, the court music and the ritual music have been corrected traditionally.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私が衛の国から魯へ帰国してからだな、魯の宮廷音楽と典礼音楽が本来のあるべき形で演奏されるようになったのは。」

Translated by へいはちろう

雅(が)とは宮廷などで演奏される音楽、頌(しょう)とは祭祀などで演奏される音楽で共に詩経に詩が収録されているでござる。孔子は流浪生活の途中で衛に立ち寄った時、衛の国に伝わっていた周の古来の演奏方法などを学んで魯に伝えたということでござる。

孔子はこのように礼楽に関しては周の伝統に従う姿勢を人生を通して貫いていたのでござるが、孟子には音楽に対する別の考え方が収録されているので紹介させていただくでござる。

孟子は斉の宣王(せんおう)が音楽を好むと聞いて謁見した時に尋ねた、
孟子「王は音楽をお好きなようですね」
宣王「いや、私が好むのは俗っぽい音楽で自慢できるようなものではない」
孟子「王が音楽を好まれるのは、お国が泰平に近づくしるしです。伝統音楽でも俗っぽい音楽でも同じことです」
宣王「どういうことだ?」
孟子「音楽というのは一人で楽しむのと大勢で楽しむのはどちらが楽しいでしょうか?」
宣王「それはもちろん大勢のほうだ」
孟子「かりに王が演奏会を催されたとします。それを聞きつけた民衆が眉をひそめながら”王さまは音楽を楽しんでいるというのに、我々の暮らしはちっとも良くならない。おかげさまで家族は離ればなれだ。” このように民衆が王に対して不平をもらす理由はただ一つ、王が民衆と楽しみを分かち合わないからです。もし王が民衆と楽しみを分かち会うならば民衆はこう言うでしょう。”王さまがお元気で何よりだ。お元気でなければ音楽を楽しまれるはずがない。” 音楽を大勢で楽しむように楽しみを民衆と分かち合うのです、そうすれば王は天下を得られるでしょう。」

子罕第九の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 子罕第九を英訳を見て下され。