「喪」の文化

新年あけましておめでとうございまする。
今年もちょくちょくこのブログを見に来てくだされば有難き幸せ。

タイトルを見て「あれ?へいはちろう服喪なんじゃないの?」と思った方は申し訳ありませぬ、拙者の身内は皆ピンピンしております、元気元気でござる。

さて新年一発目のちょんまげ英語日誌のテーマは縁起でも無く「」についてでござる、正月のこの時期年賀状を出すにあたって自らがまたは相手先が服喪だったかな?と考えた方が多いでござるけど、そもそも「喪」って何?と正確に理解している方はほとんど居ないのではござらんか?

本当はちょんまげ翻訳のカテゴリで海外の方が日本の「喪」について解説した文章を和訳したかったのでござるが残念ながら見つからなかったので翻訳はパスでござる。

ちなみに英語で「喪」は Mourning でござるよ、死者に敬意を表し悼む気持ちは形の差こそあれ世界共通でござるな。

日本における「喪」の文化は大別して2つの意味があるのでござる

・儒教の影響による「喪」

・日本独自の文化であるハレ・ケによる「喪」

儒教の影響による「喪」は単純に言えば死者に対する敬意や礼儀として身を潔斎し酒色などを慎むことでござる。

中国などでは「哭喪(こくも 泣く喪の意)」と言って何日にも渡って使者の霊前にて泣き続ける(泣くフリ、長ければ長いほど良い)や婦人が夫を無くした場合には半年~数年に渡って外出が出来ないなど現代の我々では「おおげさなんじゃない?」と思ってしまう様な時代もあったでござる。

ハレ・ケによる「喪」とはこれも単純に言えば「死という穢れ」を祓うためまた他に広めるのを避けるため外出や慶事を慎むことでござる、友引には葬式しないとかってのもこれの一種でござるな。

死者ではなく「死」そのものを伝染病であるかのように扱っているのでござるが、拙者の私見で言えばまさに伝染病による死を避けるための太古よりの知恵なんでは無いかと思うでござる。

「喪」と言うのは死者を悼む行為でござるが、生者にとっても死者を悼む不特定の時期を「喪」と呼ぶことによって新しい生活へ切り替えをつけやすくなると言う側面もあるでござるな。

但し、現在の葬式でもいざ親戚が集まれば酒を飲み寿司をつついて故人の思い出話に華が咲いたりするように、実際に厳密に「喪」を行う事例はあまりなかったのでは無いかと思うでござる。

新年早々からあまり縁起の良く無い話をしてしまったでござるな、今年も拙者の「あまのじゃく」は治らないでござるか・・・