孔子の論語の翻訳63回目、八佾第三の二十三でござる。
漢文
子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也、從之純如也、皎如也、繹如也、以成。
書き下し文
子、魯の大師(たいし)に楽(がく)を語りて曰わく、楽は其れ知るべきのみ、始めて作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。これを従(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり、皎如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり。以て成る。
英訳文
Confucius said to the Grand music master of the Lu about the music, “I understand how to play music. It begins in unison loudly. Then sounds are harmonized. And each instrument is played characteristically. At last, all sounds conclude as if they are in a row.”
現代語訳
孔子が魯国の楽官長に音楽についておっしゃいました、
「私も音楽については理解しています。まず一斉に大きな音で始まり、次に静かに調和する。そして各楽器の特徴を生かした演奏がなされ、最後に全ての音が連なるように終わる。」
Translated by へいはちろう
儒学は教養としての音楽を非常に大切にするのでござるが、それとは別に孔子は非常に音楽や歌を愛した人物で。人が歌っているのを聞いて気に入ると、もう一度歌ってもらい一緒に歌った(述而第七)そうでござる。拙者自身は元々孔子に対して厳格なイメージを重ねた事は無いのでござるが、こういったエピソードを知ると好々爺のイメージさえ抱いてしまうでござるな。
八佾第三の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの孔子の論語 八佾第三を英訳を見て下され。