月別アーカイブ: 2009年2月

孔子の論語 衛霊公第十五の九 志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し

孔子の論語の翻訳398回目、衛霊公第十五の九でござる。

漢文
子曰、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁。

書き下し文
子曰わく、志士(しし)仁人(じんじん)は、生を求めて以(もっ)て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すこと有り。

英訳文
Confucius said, “A person with high aspirations and a benevolent person never deviate from benevolence for their life. They would rather kill themselves to accomplish benevolence.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「志のある人物や仁者は我が身惜しさに仁の道にはずれるような事はしない。むしろ命をなげうって仁を達成する事もある。」

Translated by へいはちろう

孔子のお考えはともかくとして、本人は自覚していないでござろうが、こういう言葉を「自分の命を犠牲にすれば何をしても良い」と勘違いする御仁も歴史上にも現代にも後を絶たなくて困りものでござるな。

人々や正義のために命を捨てる行為はそれは称賛される場合もあるでござろうが、命をかける行為がすべて正当化される訳ではないのでござる。むしろ死んだ後では批判に対して反論すらできなくなるので、哀れといえば哀れでござるな。

衛霊公第十五の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 衛霊公第十五を英訳を見て下され。

孔子の論語 衛霊公第十五の八 知者は人を失わず、亦言を失わず

孔子の論語の翻訳397回目、衛霊公第十五の八でござる。

漢文
子曰、可與言而不與之言、失人、不可與言而與之言、失言、知者不失人、亦不失言。

書き下し文
子曰わく、与(とも)に言うべくしてこれと言わざれば、人を失う。与に言うべからずしてこれと言えば、言を失う。知者は人を失わず、亦言を失わず。

英訳文
Confucius said, “You will lose good friends, if you don’t talk with them who are worthy to talk. You will waste words, if you talk with people who are not worthy to talk. The wise never lose friends and waste words.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「語るに値する人物と語り合わなければ、その人との関係を失う。語るに値しない人物と語り合うと言葉を無駄にする。知恵ある者は重要な人を失わないし、無駄口もきかない。」

Translated by へいはちろう

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孔子の論語 衛霊公第十五の七 邦に道有るにも矢の如く、邦に道無きも矢の如し

孔子の論語の翻訳396回目、衛霊公第十五の七でござる。

漢文
子曰、直哉史魚、邦有道如矢、邦無道如矢、君子哉遽伯玉、邦有道則仕、邦無道則可卷而懷之。

書き下し文
子曰わく、直(ちょく)なるかな史魚(しぎょ)。邦(くに)に道有るにも矢の如(ごと)く、邦に道無きも矢の如し。君子なるかな遽伯玉(きょはくぎょく)。邦に道有れば則(すなわ)ち仕(つか)え、邦に道無ければ則ち巻きてこれを懐(ふところ)にすべし。

英訳文
Confucius said, “How faithful Shi Yu was! He served like an arrow both when the country was in order and when it was in disorder. Qu Bo Yu is a gentleman! He served the country when it was in order. He concealed himself when it was in disorder.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「史魚(しぎょ)という人は何と実直なのだろう! 国が治まっている時には矢の様に真っ直ぐに仕え、国が乱れても矢の様に真っ直ぐに仕えた。遽伯玉(きょはくぎょく)は君子であるな! 国が治まっている時には国に仕え、国が乱れたら世を避けて才能を悪用されるのを防いだのだ。」

Translated by へいはちろう

史魚(しぎょ:衛の大夫。史魚は霊公に賢者である遽伯玉を重く用いるよう諫言したが、霊公は彌子瑕を重用して遽伯玉を用いようとしなかった。史魚は臨終の際に息子を呼んで、「私は賢人を薦める事も無能を取り除く事もできなかった。君を正しい道に導けなかった。私が死んでも礼に従った事はせずに死体は窓の下にほうり出しておいてくれ」と言い残した。息子がこの言葉に従い史魚の遺体を窓の下に置いておくと、君主の霊公が弔問に訪れ窓の下の遺体を見てこれを怪しみ、息子にその訳を聞いた。息子が史魚の遺言を霊公に告げると、霊公は愕然として「私は史魚の諌めに従わなかった。これは私の過ちである」と言い、中堂で葬式を行い、賢臣の遽伯玉を抜擢して佞臣の彌子瑕を退けた。孔子はこの話を聞いて「生前に君主を諌める人は大勢いたが、史魚のように死んでも諌めた人はいなかった。」と言ったという。)

遽伯玉(きょはくぎょく:衛の大夫。憲問第十四の二十六では孔子に使いを出して、その人選を孔子に褒められている。)

乱れた国でも忠臣たらんとした史魚、乱れた国を避けていた遽伯玉のそれぞれを褒めているのでござるな。

乱れた世を正そうとした孔子と、乱れた世を避けた老荘家達の対比になんとなく似ているといえば似ているような気もするでござる。

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