月別アーカイブ: 2008年10月

孔子の論語 顔淵第十二の五 君子は敬して失なく、人と恭々しくして礼あらば、四海の内は皆兄弟たり

孔子の論語の翻訳294回目、顔淵第十二の五でござる。

漢文
司馬牛憂曰、人皆有兄弟、我獨亡、子夏曰、商聞之矣、死生有命、富貴在天、君子敬而無失、與人恭而有禮、四海之内、皆爲兄弟也、君子何患乎無兄弟也。

書き下し文
司馬牛(しばぎゅう)、憂(う)れえて曰わく、人皆兄弟あり、我独(ひと)り亡(な)し。商(しょう)これを聞く、死生(しせい)命(めい)あり、富貴(ふうき)天に在り。君子は敬して失(しつ)なく、人と恭々(うやうや)しくして礼あらば、四海の内は皆兄弟たり。君子何ぞ兄弟なきを患(うれ)えんや。

英訳文
Si Ma Niu sighed, “Everyone has their good brothers. But only I don’t have any good brother.” Zi Xia said, “I heard that death, life, riches and nobility are ordained by Heaven’s will. If a gentleman respects others without mistakes and behaves humbly and politely, all the people are his brothers. Why do you have a reason to sigh over your brother?”

現代語訳
司馬牛(しばぎゅう)が嘆いて言った。
「みんなは兄弟と仲良くやっているのに、私だけが兄弟が居ないかの様だ。」
すると子夏(しか)が、
「私は生きるも死ぬも、富も尊きも全ては天命だと聞いております。もし人格者たるべき者が他者を敬って落ち度が無く、恭しく振舞って礼に違うことがなければ、この世の全てが彼の兄弟と言えます。どうして兄弟が居ないと嘆く必要がありましょうか。」
と言いました。

Translated by へいはちろう

司馬牛(しばぎゅう:姓は司馬、名は耕、字は子牛。孔子の弟子の一人。)

子夏(しか:姓は卜、名は商。字は子夏。詳細は雍也第六の十三に。)

司馬牛は5人兄弟の末っ子だったのでござるが、兄弟仲が悪かったのでござろう。特に次兄の司馬桓魋は述而第七の二十二にあるとおり孔子を殺害しようとしたり、宋の公室の血縁でありながら反乱を企てたりして衛に亡命しているのでござる。仲良くしようするのはかなり難しいでござるな。

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孔子の論語 顔淵第十二の四 内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん

孔子の論語の翻訳293回目、顔淵第十二の四でござる。

漢文
司馬牛問君子、子曰、君子不憂不懼、曰、不憂不懼、斯可謂之君子已乎、子曰、内省不疚、夫何憂何懼。

書き下し文
司馬牛(しばぎゅう)、君子を問う。子曰わく、君子は憂えず、懼(おそ)れず、曰わく、憂えず、懼れず、斯れこれを君子と謂うべきか。子曰わく、内に省(かえり)みて疚(やま)しからずんば、夫(そ)れ何をか憂え何をか懼れん。

英訳文
Si Ma Niu asked about a gentleman. Confucius replied, “A gentleman must not be anxious and afraid.” Si Ma Niu asked, “If he is not anxious or afraid, is the person called a gentleman?” Confucius replied, “He has a clear conscience when he reflects on his actions. So he is not anxious or afraid.”

現代語訳
司馬牛(しばぎゅう)が人々の手本たるべき君子について尋ねました。孔子は、
「君子というものは心配や恐れを抱く事は無い。」
と答えられました。司馬牛がさらに、
「たったそれだけで君子と呼べるのですか?」
と尋ねたので、孔子は、
「自らの行いを反省してやましいことがなければ、一体何を心配したり恐れたりする必要があるだろうか。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

司馬牛(しばぎゅう:姓は司馬、名は耕、字は子牛。孔子の弟子の一人。)

逆説的に君子が心配し恐れるのは自らの行いが、自らの正しさに適うか否やという点でござろうな。学而第一の四で曾子が「吾れ日に三たび吾が身を省みる。」とおっしゃってるのはまさにこの事でござろう。

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孔子の論語 顔淵第十二の三 仁者は其の言や訒

孔子の論語の翻訳292回目、顔淵第十二の三でござる。

漢文
司馬牛問仁、子曰、仁者其言也訒、曰、其言也訒、斯可謂之仁已乎、子曰、爲之難、言之得無訒乎。

書き下し文
司馬牛(しばぎゅう)、仁を問う。子曰わく、仁者(じんしゃ)は其の言や訒(じん)。曰わく、其の言や訒、斯(こ)れこれを仁と謂(い)うべきか。子曰わく、これを為すこと難(か)たし。これを言うに訒なること無きを得んや。

英訳文
Si Ma Niu asked about benevolence. Confucius replied, “A benevolent person must speak modestly.” Si Ma Niu asked, “If he speaks modestly, is the person called benevolent?” Confucius replied, “It is difficult to put benevolence into practice. So his words become modest spontaneously.”

現代語訳
司馬牛(しばぎゅう)が仁について尋ねました。孔子は、
「仁者は、言葉を慎み深くする。」
と答えられました。司馬牛がさらに、
「たったそれだけで仁者と呼べるのですか?」
と尋ねたので、孔子は、
「仁を実践するとなると難しいのだ。だから仁者の言葉は自然と慎み深くなるものだ。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

司馬牛(しばぎゅう:姓は司馬、名は耕、字は子牛。孔子の弟子の一人。)

学而第一の三にある有名な「巧言令色鮮なし仁」を別の言い方をした感じでござる。

どちらかと言うと口先八丁な拙者には耳が痛い文でござるな。何度慎もうと思っても考えるより先に言葉が出てくることがある、おそらく一生の課題となるでござろう。

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孔子の論語 顔淵第十二の二 己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ

孔子の論語の翻訳291回目、顔淵第十二の二でござる。

漢文
仲弓問仁、子曰、出門如見大賓、使民如承大祭、己所不欲、勿施於人、在邦無怨、仲弓曰、雍雖不敏、請事斯語矣。

書き下し文
仲弓(ちゅうきゅう)、仁を問う。子曰わく、門を出でては大賓(だいひん)を見るが如(ごと)くし、民を使うには大祭(たいさい)に承(つか)えまつるが如くす。己(おのれ)の欲せざる所は人に施すこと勿(な)かれ。邦(くに)に在りても怨(うら)み無く、家に在りても怨み無し。仲弓が曰わく、雍(よう)、不敏(ふびん)なりと雖(いえど)も、請(こ)う、斯(そ)の語を事とせん。

英訳文
Zhong Gong asked about benevolence. Confucius replied, “Treat others as guests of honor when you meet them. Behave like you attend a rite when you use the people. Do to others as you would be done by. And you will not incur the people’s or your family’s enmity.” Zhong Gong said, “Although I am an idiot, I will put your words into practice.”

現代語訳
仲弓(ちゅうきゅう)が仁について尋ねました。孔子は、
「外で人と会う時には、大切な賓客の様に扱いなさい。民衆を使役する時には、大切な祭祀を務めるように振舞いなさい。自分がされて嫌な事を他人にしてはいけない。そうすれば人々やさらには家族からも恨みを抱かれる事は無い。」
と答えられました。仲弓は、
「私は愚か者ではありますが、先生のお言葉を実践したいと思います。」
と言いました。

Translated by へいはちろう

仲弓(ちゅうきゅう:姓は冉、名は雍、字は仲弓。詳細は雍也第六の一に。)

さて有名な「己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ」でござるが、英訳にあてたのはこれまた有名な”Do (to others) as you would be done by.” (人にして欲しいと思うことを他人にしなさい – 新約聖書)でござる。

両方ともただその一言で説得力があるのでござるが、実践するとなると非常に難しいでござるな。

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孔子の論語 顔淵第十二の一 一日己を克めて礼に復れば、天下仁に帰す

孔子の論語の翻訳290回目、顔淵第十二の一でござる。

漢文
顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁、一日克己復禮、天下歸仁焉、爲仁由己、而由人乎哉、顔淵曰、請問其目、子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動、顔淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣。

書き下し文
顔淵(がんえん)、仁を問う。子曰わく、己(おのれ)を克(せ)めて礼に復(かえ)るを仁と為す。一日己を克めて礼に復れば、天下仁に帰(き)す。仁を為すこと己に由(よ)る。而(しか)して人に由らんや。顔淵曰わく、請(こ)う、其の目(もく)を問わん。子曰わく、礼に非(あら)ざれば視ること勿(な)かれ、礼に非ざれば聴くこと勿れ、礼に非ざれば言うこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ。顔淵曰わく、回(かい)、不敏(ふびん)なりと雖(いえど)も、請う、斯(そ)の語を事(こと)せん。

英訳文
Yan Yuan asked about benevolence. Confucius replied, “It is to discipline yourself and to return the starting point of the courtesy. If you discipline yourself and return to the courtesy a day, the world will return to the benevolence. It is all up to you. You cannot depend on others.” Yan Yuan asked, “Please tell me the point.” Confucius replied, “Do not look if it is not according with the courtesy. Do not listen if it is not according with the courtesy. Do not speak if it is not according with the courtesy. Do not act if it is not according with the courtesy.” Yan Yuan said, “Although I am an idiot, I will put your words into practice.”

現代語訳
顔淵(がんえん)が仁について尋ねました。孔子は、
「自分に打ち勝って礼の原点に立ち戻る事だ。もし一日自分を律して礼に立ち戻るならば、世界が仁の心に立ち戻るだろう。すべては自分次第なのだ。他人を責めてはいけない。」
と答えられました。顔淵がさらに、
「どうかその要点を教えてください。」
と尋ねると、孔子は、
「礼に適わぬ時は見ない、礼に適わぬ時は聞かない、礼に適わぬ時は言わない、礼に適わぬ時は動かない。」
と答えられました。顔淵は、
「私は愚か者ではありますが、先生のお言葉を実践したいと思います。」
と言いました。

Translated by へいはちろう

顔淵(がんえん:顔回とも呼ぶ。姓は顔、名は回、字は子淵。詳細は公冶長第五の九に。)

拙者がとても好きな一文でござる。

一日己を克めて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すこと己に由る。而して人に由らんや。

たった一日でも他人に対する敬意を心がけて行動すれば、自分の周囲にいる人々と真心や思いやりをお互いに感じる事が出来るようになる。全てのきっかけは自分自身にあるのであって、周囲を責めるのは間違いである。

もちろんこれを常に心がけるとなると凡人の悲しさ、ついつい感情に支配されてしまったりするのが実情。

顔淵第十二の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 顔淵第十二を英訳を見て下され。