月別アーカイブ: 2008年6月

孔子の論語 述而第七の二十六 釣して綱せず、弋して宿を射ず

孔子の論語の翻訳176回目、述而第七の二十六でござる。

漢文
子釣而不綱、弋不射宿。

書き下し文
子、釣(つり)して綱(こう)せず。弋(よく)して宿を射ず。

英訳文
Confucius enjoyed fishing, but not used a net. He enjoyed hunting, but not shot birds in a nest.

現代語訳
孔子は釣りを楽しまれたが、網を用いる事はなかった。狩りを楽しまれたが、巣の中の鳥を射る事はなかった。

Translated by へいはちろう

今回の文の解釈はなかなか難しいでござるな。単純に解釈すれば必要以上に求めたり、不必要な殺生を避けたという意味なのでござるが、そもそも魚を取るのに網を用いるのは生活のためにするのであって娯楽のために釣りをするのとは訳が違う。猟師ならば罠をしかけて獣を捕らえることもあるかも知れないが、教養人のたしなみとしての弓術とはまた訳が違う。

もちろん孔子はその辺を弁えておられたからこそ、この様になさっていたのでござるが、この様な文が論語にある事で論語の編纂者の視点が民衆の方向を向いていなかったのでは無いかと今更ながらに思うのは考えすぎでござろうか?

ただ単に拙者があまのじゃくなだけでござるな。

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孔子の論語 述而第七の二十五 恒ある者を見るを得ば、斯れ可なり

孔子の論語の翻訳175回目、述而第七の二十五でござる。

漢文
子曰、聖人吾不得而見之矣、得見君子者、斯可矣、子曰、善人不得而見之矣、得見有恆者、斯可矣、亡而爲有、虚而爲盈、約而爲泰、難乎有恆矣。

書き下し文
子曰わく、聖人は吾得てこれを見ず。君子者(くんししゃ)を見るを得ば、斯れ可(か)なり。子曰わく、善人は吾得てこれを見ず。恒(つね)ある者を見るを 得ば、斯れ可なり。亡(な)くして有りと為し、虚(むなし)くして盈(み)てりと為し、約にして泰(ゆたか)なりと為す。難(かた)いかな、恒あること。

英訳文
Confucius said, “I’ve never seen a sage. But I will be content if I can see a gentleman.” Confucius said, “I’ve never seen a born good person. But I will be content if I can see a person who knows contentment. He can be rich without money, fulfilled without substances and calm if he is poor. There are few people like that.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私は聖人に会ったことはないが、人格者に会うことが出来ればそれで十分だ。」
孔子はまたおっしゃいました、
「私は生まれつきの善人に会ったことはないが、満足する事を知っている人物に会うことが出来ればそれで十分だ。その人物は物が無くても有る様に豊かで、財産が空っぽでも心が満たされていて、貧しくてものびやかに暮らす。しかしその様な人物に会うのは難しい。」

Translated by へいはちろう

「武士は食わねど高楊枝」という言葉が一瞬頭に浮かんだのでござるが、これは違うでござるな。

武士は~の言葉は忍耐や自制を表しているのでござるが、今回の文章は「足るを知る」を表しているのでござる。忍耐と満足では大分違う解釈でござる。忍耐することによって得られる満足、という解釈も出来るでござるが、やはり満足の方に重きを置きたいところでござるな。

しかし孔子のお言葉の大半は良しとして、最後のこの様な人物が少ない。という言葉には皮肉を感じざるを得ないでござる。何故なら足るを知る事や素朴な暮らしを重んじて孔子の儒学と対立していた老荘思想家、特に荘子の中の寓話ではまさにこの様な暮らしを守る人々によって孔子が批判されているからでござる。(但し、荘子は孔子を批判しつつも一定の評価もしている)

孔子の周りには立身出世や向学の志高い若者が集まり、名誉欲の強い王侯貴族と交わっていたのでござるから、その様な人物が少ないのは当然の事でござる。

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孔子の論語 述而第七の二十四 子、四つを以て教う。文、行、忠、信。

孔子の論語の翻訳174回目、述而第七の二十四でござる。

漢文
子以四教、文行忠信。

書き下し文
子、四つを以て教う。文、行、忠、信。

英訳文
Confucius taught us four teachings. Reading, practice, loyalty and faithfulness.

現代語訳
孔子は四つの大切な事を教えてくださいました。すなわち読書、実践、誠実、信義です。

Translated by へいはちろう

学び、行い、誠実に尽くし、信義を守る、まさに儒学の理想とするところでござるな。

これ以上の解説はかえって野暮というものでござろう。しかし拙者自身のことをいえば「学び」までは自信があるものの、それ以降が全くダメでござるな。耳が痛い・・・

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孔子の論語 述而第七の二十三 吾行うとして二三子と与にせざる者なし

孔子の論語の翻訳173回目、述而第七の二十三でござる。

漢文
子曰、二三子以我爲隱乎、吾無隱乎爾、吾無所行而不與二三子者、是丘也。

書き下し文
子曰わく、二三子(にさんし)、我を以て隠(かく)せりと為すか。吾は爾(なんじ)に隠すこと無し。吾行うとして二三子と与(とも)にせざる者なし。是(これ)丘(きゅう)なり。

英訳文
Confucius said, “Do you think I have the secrets from you? I never have any secrets. I always share everything with you. This is my way.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「お前たちは私が何か隠し事をしていると思うのか?私はお前たちに秘密など持たない、常に知識を分かち合っている。それが私なのだ。」

Translated by へいはちろう

これは弟子たちがまだ教えてもらっていない儒学の奥義があるのでは無いかと疑っていたためにおっしゃった言葉でござる。礼法や儀式の奥義などといえば何だか呪術じみていて、そんな奥義があるわけないと思うのでござるが、どんな奥義があると思っていたのか興味が尽きないところでござる。

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孔子の論語 述而第七の二十二 天、徳を予に生せり

孔子の論語の翻訳172回目、述而第七の二十二でござる。

漢文
子曰、天生徳於予、桓魋其如予何。

書き下し文
子曰わく、天、徳を予(われ)に生(な)せり。桓魋(かんたい)其れ予れを如何(いかん)せん。

英訳文
Confucius said, “Heaven gave me virtue. What can Heng Tui do to me?” (Heng Tui attempted to kill Confucius on the way to Song.)

現代語訳
孔子はおっしゃいました、
「私は天によって徳を授かった身だ、どうして桓魋(かんたい)ごときが私をどうにかできようか?」
(孔子一行が宋に向かう途上で宋の司馬であった桓魋は孔子を殺そうとした)

Translated by へいはちろう

孔子が曹の国を離れて宋の国へ赴く途中で、孔子を面白く思わない宋の司馬(軍事長官)の桓魋に襲撃をされた時のエピソードでござるな。危険を感じた弟子達が「逃げましょう」という中で、堂々と言われたとされるのが上のお言葉でござる。

しかしいくら孔子がご立派でも軍隊を相手にするのは無謀というもの、この後孔子は賎しい身分の者が着る服を着て変装し、難を逃れて鄭(てい)の国へ逃れているでござる。元々蛮勇を好まれる方ではござらんしな。

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