孔子の論語 里仁第四の十六 君子は義に喩り、小人は利に喩る

孔子の論語の翻訳82回目、里仁第四の十六でござる。

漢文
子曰、君子喩於義、小人喩於利。

書き下し文
子曰わく、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。

Confucius said, “Gentlemen seek righteousness. Worthless men seek benefits.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「人格者は正しさを求め、つまらない人間は利益を求める。」

Translated by へいはちろう

あまりにもシンプルな文でござるが、逆説的に利益を求める様な人間はつまらない人間だと言う事でござるな。

利益追求を悪とする儒家と社会全体の利益追求をすべきだと説いた墨家が非常に仲が悪かった事は里仁第四の十二でも述べたのでござるが、何でこういう事になるのか考えて見たでござる。

儒家にとって利益を求める事を「利」、正しさを求める事を「義」としたと考えれば、まさに今回の文章のままでござるな。反して墨家は「兼愛(博愛精神)」からもたらされる社会全体の利益としての「交利」を説いており、それがなぜ儒家の言う「正しさ」とは違うのか疑問を呈しているのでござる。

ただ両者の決して相容れない相違は「礼」と「兼愛」の違いでござるな。「礼」は社会秩序のための身分区別を説いており、「兼愛」は平等と博愛を説いていて、この点において両学派は激しく対立しているのでござる。

孟子は墨家の兼愛思想について
「自分の両親までも他者と同じに扱うなど獣にも劣る」
と痛烈に批判し。

墨子の方ではこれに対し
「自分がもはや死ぬであろうと言う時、老いた両親を友人に託すとしたら自分の両親だけを大切にする人間に託すだろうか?それとも平等に大切にしてくれる人間に託すだろうか? 儒家も墨家も平等に大切にする人間に託すに違いない。」
と反論しているでござる。

どちらが正しいとかいう問題ではなく、こうして後世の議論を踏まえて論語を読めば、より面白いというだけの事でござるよ。

里仁第四の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの孔子の論語 里仁第四を英訳を見て下され。